歴史コース

本郷キャンパスには古くからある建物が数多く存在します。本郷キャンパスを見学する前にこちらのページを読めば、これらの建物の由来が分かり東京大学の歴史も見えてくることでしょう。


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正門

それでは早速、南北線東大前駅と丸ノ内線本郷三丁目駅のほぼ中間地点にある正門から入って行きましょう。知名度の点で赤門が本郷キャンパスの正門だと思われがちですが、この門こそが東大の「正門」です。東京帝国大学の教授であり、築地本願寺の設計で知られる伊東忠太(いとう・ちゅうた)の設計で、関東大震災前の1912年に建造されました。ただ、現在の正門は1988年に軽くて開け閉めのしやすいアルミ合金製のレプリカに取り替えられられていて、オリジナルは駒場競ャンパスに保存されています。

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法文1号館・2号館

東大の正門から安田講堂に向かう銀杏並木沿いにある、正門から見て左側の建物が法文一号館、右側が法文二号館です。これらの建造物は、第14代総長内田祥三による東京大学キャンパス計画の一環として建てられ、一号館が1935年に、二号館が1938年に竣工しました。このキャンパス計画は関東大震災での倒壊からの布告計画として練られたもので、キャンパスには倒壊の危険性を全く感じさせない強固な建造物が必要とされました。同時期に建てられたものとして、工学部一号館、工学部列品館などがありますが、これらも内田祥三の手によるものであり、彼の独特なゴシック建築を称して「内田ゴシック」と言われています。法文一号館と法文二号館は、1998年10月に登録有形文化財に指定されました。


安田講堂

東大を象徴する建物といえば安田講堂といえるでしょう。安田善次郎氏の寄付により大講堂を建てる計画が持ち上がって1921年に起工、工事中に関東大震災に遭いながらも倒壊することなく1925年竣工を迎えました。1969年に過激派の学生が安田講堂に立てこもった安田講堂事件を始め、大学紛争により安田講堂の内部は荒れ果て、その後暫く閉鎖されることになりましたが、1988年から94年に修繕され、再び利用されるようになりました。2013年から2014年にかけて耐震工事も行われました。

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中央食堂

安田講堂前の広場の地下には、420席と本郷キャンパスで最大規模の食堂である中央食堂があります。1976年に開業した後、1994年に全面改装されました。同じく1994年には法文2号館の地下にある第一食堂と、法文2号館から御殿下に移転していた第一喫茶店が合併して現在の銀杏・メトロ食堂となりました。



理学部化学館

安田講堂と三四郎池の間の坂を下ると、御殿下記念館の向かい側に現れる、レンガタイル張りの建物が理学部化学館です。建物は東館(旧館)・本館・西館からなり、理学部四号館・七号館と共に小さな中庭を囲むようにして建てられています。このうち東館(旧館)は関東大震災前の1915年に建てられたもので、本郷キャンパスに現在残っている校舎の中では最も古いものです。こちらの建物も設計者は内田祥三ですが、建築された当時は現在の各学部が分科大学と呼ばれていて独立性がかなり強かったことから建物のデザインも他の内田ゴシックの建物とは大きく異なるものとなっています。なお、建設後の1919年に経済学部の新設と共に「大学令」によって各分科大学が学部となり、大学の統合性がより強まりました。


三四郎池

三四郎池は「心」の形をかたどっていることから正式名称を「育徳園心字池」といい、本郷キャンパスの中でも憩いの場となっています。この池の歴史はとても古く、大学創立よりもずっと前に作られたものです。かつて本郷周辺は加賀藩前田家などの大名屋敷で、1629年に当時の当主であった前田家3代藩主の前田利常が築造しました。その後時代が下って1908年から朝日新聞で掲載された夏目漱石の小説「三四郎」で登場して以来、「三四郎池」の名で親しまれています。

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総合図書館

1923年9月1日、関東大震災により東大のキャンパスは全壊してしまいます。図書館も甚大な被害を受け、数十万冊あった蔵書のほとんどを焼失してしまいました。蔵書の回復と同時に焼失した図書館の再建計画も進められました。この時一番の支援をしてくれたのが、ロックフェラー財団です。ロックフェラー財団から400万円という大金の寄付を受けて、大学はこれを資金として内田祥三の設計で総合図書館を再建、1928年に竣工したのが現在の総合図書館です。

その後の戦争でも総合図書館は空襲の難を逃れ、被害を受けずに済みました。終戦直後の混乱期も乗り越え、現在でもその雄姿を湛えています。

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医学部本館

法文二号館から三四郎池の横に沿って進んだ先にあるのが医学部本館です。医学部本館は医学部2号館とも呼ばれ、赤門から一本道の突き当たりにある広々とした前庭の奥にどっしりと佇んでいます。この建物は医学部の2代目の本館で、1876年に現在の附属病院外来棟の辺りに建てられた初代の本館は現在小石川植物園の一角に移築されています。

この建物も内田ゴシックですが、他の建物よりも遅く1937年に建てられました。しかし、背面は未完とされ、突然断ち切られたかのように大きく欠けています。この背面側の入り口には解剖台を用いた顕彰碑があり、医学部病理学教室の3代にわたる教授を讃えています。

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コミュニケーションセンター

東京大学コミュニケーションセンターは本郷キャンパスの赤門のすぐそば、本郷通りに面した位置に建っています。建物自体の歴史は古く、1910年に人力車の車庫として建設されたものをセンター用にリフォームして今に至っています。

現在は研究の展示やコミュニケーションセンターのロゴ入りグッズなど東大に関連した商品の販売が行われています。


赤門

東大で有名な門といえばこの赤門です。こちらも三四郎池と同じく大学創立以前のもので、1827年に加賀藩前田家の前田斉泰が徳川家11代将軍家斉の第21女、溶姫を迎える際に建てられました。その後東京大学が発足し、大学の通用門として用いられることになります。明治末に移築されて以来、関東大震災でも大きな損壊はせずに現在まで残ってきました。1960年には全面的な解体修理を受け、漆やなまこ壁も新しくなりました。2002年には門周辺の整備が行われ、表側には白い砂利が敷き詰められました。現在では同様の門は他に残ってないとされ、戦前は国宝、現在でも重要文化財に指定されています。

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建物の歴史は東京大学が経てきた様々な歴史を反映していると言えます。かつての東大に思いを馳せながら散策してみるのもよいでしょう。


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掲載日:14-11-19
担当:立花悠斗
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