自分自身が幸せになれるように行動せよ

1.バブルを目の当たりにして | 2.自分自身の地平を生きる | 3.人間的な教育とは | 4.東大生がみんなで変われば世界が変わる


東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授は、近年「女性装の東大教授」としてテレビで注目されるようになりました。安冨先生は「東大話法」の概念を打ち出すなど、東大や日本社会に対する分析を積極的に行っています。今回は、普段学生と関わる機会が少ない安冨先生が東大生をどのように見ているのか、そして東大生が自分らしく生きるためにはどうすればよいのか、お話を伺いました。


バブルを目の当たりにして

―先生の研究について教えてください。

1985年のプラザ合意で、1ドル240円だった日本円が急に値上がりして1ドル140円になりました。その対策として当時の日本政府は日本円の流通量を増やし、その資金を住友銀行(現:三井住友銀行)が中心になって土地投機に誘導し、土地バブルというのが始まりました。私はちょうどその頃に住友銀行に就職し、2年半の間バブルを起こしていくプロセスに関与していました。そのときの住友銀行は就職ナンバーワン企業で、私は京都大学の出身ですが、同期の連中も単に学業ができるだけではなく人格的にも面白い人がたくさんいたので、おそらく当時日本で最も優秀な人材が集まっていた会社だと思います。しかし、行われていたことは極めて愚かなことで、無茶苦茶な土地融資を続けていたのです。銀行員2年目のときに3年目の先輩と寮で深夜に晩御飯を食べながら「こういうことをしているとどうなるんでしょうね」と私が聞くと、その先輩は「いずれ住宅ローンを保証する会社とか、全部倒産するだろうね」と言ったんです。2年目と3年目の銀行員でもその危険性が分かることだったので、経営者が分からないはずがありませんでした。私が耐えがたくなって銀行を辞めた後に本格的なバブルが発生し始め、世の中が狂乱状態に陥っているときに一人だけ私は給料がなくなりました。京都の下宿でひっそり暮らしていた私は「必ずやとんでもないことになる」と思っていました。皆そう思っていたはずです。

やがてバブルは崩壊して日本経済も低迷し、1998年から2011年まで自殺者は14年間ずっと3万人を超えていました。2012年からはやっと2万人台に戻りましたが、その14年間の余計な部分はおそらくバブルの後遺症です。そうすると14万人もの人たちが余計に死んだということになるので、ちょうど日露戦争と同じくらいの被害を発生させたのだと思います。

バブルが本格化した1989年5月、私は大学院に戻っていて、北京大学に遊びに行ったのですが、1ヶ月後に天安門事件の虐殺につながる学生デモが起きていました。今でもそうですが、当時の中国でデモに参加するということは、とても大変なことです。皆さんだってデモに参加するのは怖いですよね。就職に悪影響が出たらどうしようなんて思うでしょう。しかし当時の中国はそんなレベルではなく、下手したら殺されるかもしれないのに、何百万もの人たちが街に出ていました。それを見ながら私は「これがまともな人間の集まりであって、あのバブルに浮かれている人たちの方が狂っているんだ」ということを感じました。怯えや恐れを振り切って街に出て来た人たちと、怯えや恐れを隠して踊っていた人たちでは、どちらが狂っているかというと後者です。どちらに秩序があるかというと実は前者で、バブルに浮かれていた日本社会は一見秩序立っているように見えますが、本当は無秩序なのです。そういうことを感じて、「人間の秩序はどのように生まれるのか」「どうすれば自分が思うように振る舞えるのか」「優秀なはずの人間がなぜ自分が狂っていることを隠蔽して暴走するのか」ということを研究したいと考え始めました。中国政府は武力でこの運動を弾圧し、バブルの日本以上の巨大な暴走を開始して、あっという間に経済大国になりました。


1.バブルを目の当たりにして | 2.自分自身の地平を生きる | 3.人間的な教育とは | 4.東大生がみんなで変われば世界が変わる


このページにコメントを送る
このページへの評価:
いい!よくない!
掲載日:16-10-09
担当:野上宏樹
*