科学コミュニケーション活動の二つの要素

1.大学院までのこと・執筆者として | 2.科学コミュニケーション活動について・現在の活動


 中2の頃からの夢である執筆を続けながら、東京大学大学院理学系研究科・理学部の広報を担当され、科学コミュニケーションを専門とされる横山広美准教授。科学に興味を持ったきっかけから理学博士をとって現在に至るまでのご自身の経験や、科学コミュニケーションに対する思いを伺った。

大学入学までのこと

横山広美さん

 小学生の時は、週末に図書館で本を5冊ずつ借りて、毎週それを読むという生活でした。また、お稽古としてピアノと絵をやっていて、その教室がすごく好きでした。このように、ピアノと絵をすごく一生懸命やっていて本好きな子供でした。当時は本が好きだったので、将来は児童文学の作家になりたいなぁというような希望を持っていました。

 私は幼稚園の頃からずっとカトリックの学校だったので、毎日お祈りをたくさんして、小学校の頃はあまり疑問を抱くことなく純粋にお祈りをしていたんですが、中学になると、「神様ってどこから来たのかしら」ということがだんだんと気になるようになりました。どうも学校にいらっしゃるシスターに聞きたいこととはちがう気がするし、先生に聞いても適確な答えが返ってくるか分からなかったんですが、そういったちょっと哲学的な事に興味をもつようになりました。その頃、バスケ部の友人のお母様が何かのきっかけに科学雑誌の『Newton』を私に紹介してくれて、初めて科学雑誌というものを読んで非常にびっくりしました。宇宙の創生や私たち人類がどうして今ここにこうして居るのかという一見、人智を超えた問題に、初期宇宙論などの物理学が切り込めることを初めて知ったのです。これが私にとってものすごく大きな衝撃で、かなりの量の本を買ってもらったり図書館から借りたりして、1年間に大体70冊くらいの関連書を読み、ただ読むだけではなくて情報をノートにまとめていました。そうしたら、それがものすごく楽しくなってしまい、もともと文章が好きで書くことが好きだったのもあって、中学2年生の時に、将来は科学を書く仕事に就けたら良いなと思うようになりました。普通はそういう時に科学者になりたいと思う人の方が圧倒的に多いのでしょうが、私の場合は書きたいという気持ちが強くて、科学を書く人になりたいと思うようになりました。

 高校生の時には、NHKのアインシュタインロマンなど色々な良いメディアに触れることが出来ました。特にNTTデータ主催の講演会で、マーガレット・ゲラーというスミソニアン天文台の先生とジョージ・スムートという2006年にノーベル物理学賞を受賞した先生とを日本に呼んで行なった講演会が印象的でした。ゲラー先生は、銀河が泡状に分布しているということを初めて見つけた人ですが、すごく楽しそうに先生が話していたということもあり、私は泡状構造に非常に興味を持ちました。そういった構造が出来るためにはダークマターと呼ばれるものが必要なんですが、当時はまだダークマターの正体が分かっていなくて、ダークマターの第一候補がニュートリノという素粒子だったので、是非ニュートリノをやりたいなという希望を高校生の頃に抱きました。

 実は理系科目があまり得意でなくて、学校の先生にも親族にも文系の方が良いんじゃないかと心配されたんですが、どうしても理系に行きたいという気持ちが強くて、理系進学をすることにしました。将来の仕事としては科学を書くということを考えていたんですが、とりあえずは研究というものに触れてからだと思い、東京理科大学物理学科へ進学しました。

大学・大学院時代の研究について

横山広美さん

 大学1年の夏に、日本物理学会が主催する夏の講演会で「重力波とニュートリノ」というタイトルの3日間連続の集中講義がありました。私は入学したタイミングでそういった講演会があることがすごく嬉しくて、友達を引き連れて講演を聴きに行ったんですが、その後お世話になることになるほとんどの先生のお話をそこで聴くことが出来ました。私にとってこの講演会は、その後ニュートリノ物理を専門とするのにすごく良いきっかけになったと思っています。

 大学院時代の専門分野は素粒子実験で、博士課程4年途中までの5年間半、つくばにある高エネルギー加速研究機構という外部の研究所で、ニュートリノの性質を調べる実験をしていました。私が関わらせていただいた実験は、ビッグサイエンスと呼ばれる大型科学の実験でした。ビッグサイエンスの中には、衛星を打ち上げたり核融合の実験炉を作ったり色々なものがありますが、私の実験は、加速器で人工的に作ったニュートリノをつくばから250km離れたスーパーカミオカンデに向かって発射させ、飛んでいる間にニュートリノの性質が変わるかどうかということを調べるための実験でした。

 そういった非常に大規模な装置を使うということもあって、大型実験ならではの色々な経験をさせていただきました。一つの実験なんですが150人で1本の論文を書く世界で、それにかかるための時間も非常に長く、例えば実験をすることが文科省など国の機関に認められてから、建設に5年かかり、そのあと実験にも5年かかり、その上で論文を出すんですね。非常に長い時間とお金をかけ、すごい人数の人が関わって、やっと一つの歴史に残る結果を出すという世界なんです。すぐに社会に役立つわけではない基礎的な自然科学の研究をやるにあたって、これだけの大規模なミッションをやっていくことが実際どんなに大変で、どんなに楽しいことなのかを現場で見せていただくことが出来て良かったです。また、この研究は10カ国の共同研究ですが、国籍でいうともっとたくさんの国の人が居ました。修士1年から研究は全て英語で、非常に辛いこともあったんですが、日本に居ながらして世界中に友人が出来ました。今はどの国へ行っても友人が山のように居て、そういったことはすごく良い財産だったなと思っています。

 この実験で一番印象的だったのは、私が博士1年の時にスーパーカミオカンデで起きた事故で、使っていたセンサー11000本のうち6000本が壊れるということがあったんですね。すぐに現場の先生達が事故の究明に誠心誠意であたり、情報を公開して、ニュートリノ物理というのは今後も日本が世界を引っ張っていくべき分野なので、どうかもう一度やらせてくださいということで再建作業を1年間で完了させたんです。その1年間は、実験という意味ではストップしたんですが、研究の中身だけではなくて、研究に付随する色んな問題にどうやって対処していくのかということを、まさに自分のこととして学ばせていただきました。同時に、ここで絶対終わらせてしまってはいけない、という先生達の意気込みを間近に見て、こういった意気込みこそが大事だと感じました。グループとしては大変なことだったんですが、色んな面で勉強させていただいたなと思っています。

執筆者として

 私が書き物をしたいと周りの人に言い続けていたら、知りあいの先生が『子供の科学』という科学雑誌の編集部に紹介してくれて、記事を書かせていただくようになりました。そこの編集部の方が、若手を育てようと思っているすごく立派な方ばかりで、ものを書くということにあたっての教育をすごく一生懸命にしてくださりました。『子供の科学』は日本で一番長く続いている科学雑誌で、小柴昌俊先生や野依良治先生なども皆さん読んでいらした時期があったということで、最初からそういった老舗の所にお世話になれたということはその後の活動をしていく際に心強かったし、『子供の科学』の編集部に育ててもらったんだなということは今でも思っています。

横山広美さん

 将来は書きたいという気持ちは変わらなかったので、修士を出て就職するのが良いんじゃないかなと思い、修士課程の時に就職活動をしたんですね。就職活動は出版社が第1希望で、受けたところ3つは全て内定をいただいて、そっちに行こうかと迷った時期もありました。その時に指導教官の先生が非常に立派な方で、「理学の本質まで触れる研究というのはどうしても修士の間だけではなかなか出来ないから、そんなに急がずにしっかりした研究を一つしてから外の世界に出た方がより深く色んな活動が出来るんじゃないか」とおっしゃってくださいました。その言葉に勇気づけられて進学をし、博士課程が終わってからフリーランスで作品を書いていこうと思っていました。実を言うと、大学の先生になろうとは思ったこともなかったんですね。

 大学院時代というのはもちろん研究がメインなので、執筆活動の方はあまり手を広げないでいたんですが、その間に『子供の科学』の編集部を中心に非常に大きなネットワークが出来ていて、博士号をとって卒業する時に色んな出版社さんから声をかけていただき、好きな作品を好きなように書いていくことが出来ました。ほとんどの場合は「こういったものを書いてください」と言われるのではなくて、「何かアイデアはありますか?」と聞かれるので、自分の好きなことを書いていけるという、非常に恵まれた状況でした。

 執筆という仕事はすごく不安定で、1本の原稿で入るお金ってすごくわずかなので、これだけで生活を立てるのはものすごく大変なことなんですね。そういった状況なんですが、現在私は、幸いなことに色んな所からお声がかかり、仕事がたくさんあって、かなりの量の依頼をお断りせざるを得ない状況になっています。

 代表的な作品では、岩波書店の雑誌『科学』に連載で書いた「カミオカの地底から」というのが割と好評でした。今までで一番好評だったのは、カメラのニコンさんのウェブページに書かせていただいている「光と人の物語 〜見るということ〜」で、私独自の書き方を高く評価していただき、2007年に科学ジャーナリスト賞をいただきました。

 現在は東京大学の仕事がちょっと忙しくなって、残念ながら執筆の仕事はほぼ休止状態ですが、そもそも私は書くことを目標にずっと今まで来たので、出来れば筆を折るようなことをしたくないなぁと思っていて、ニコンの「光と人の物語 〜見るということ〜」は続けようと思っています。


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掲載日:08-03-25
担当:麻生尚文
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