東京大学が日本の未来を作る

1.学生時代 | 2.一教員から東京大学総長へ


濱田純一さん

 本年度より東京大学総長に就任された濱田純一さんは、東大初の戦後生まれの総長である。タフな学生を育てることを意識し、日本の未来に責任を持つ大学作りを目指している。これまでの人生について、そして総長としての展望を伺った。

勉強は集中的にやるタイプ

 小学校の頃は、あだ名が「ボンボン」っていいましてね。のんびりしてたんでしょうね。普通の田舎の公立小学校で、5年生の終わりくらいから、私立中学の受験勉強を始めました。明石から神戸まで、30分くらいかけて塾へ通って。今は多くなったけど、当時小学校から塾に通うってのは、特に田舎の町では少なかったですね。

 実は親父が東大を出てて、それでどうも当時からぜひ息子を東大にやりたいと思っていたようで。だから僕はね、あんまり模範になるような志望動機じゃないんだけど(笑)、特に何も考えないで、「がんばって東大に行くものだ」と思って勉強してました。

 中学校では、地理歴史部に入ったんです。この地歴部ってのはただね、そんなにきちんとした勉強をやるんじゃなくて、年に何回か旅行に出かけるってのが中心のようなクラブで。だから東北とか、北陸とか、よくあちこちに行きましたね。いろいろな人の生活に触れる機会のあったことがとってもよかったと今思います。

 高校2年くらいから本格的に大学受験の勉強を始めたかな。あの時もよく勉強しました。当時はありがたいことに、塾に行ってるやつはほとんどいなかったんですね。進学校だから仕組みが整ってて、ただ授業をしっかり受けていればよかったから。ある意味じゃすごくストレスのない受験勉強でした。今でも思うけど、ああいう形で受験勉強をやってパスできたってのはありがたいことだと思います。

 割合僕は、長くずーっとやるってのは苦手なのかな。集中的にやるんです。今思うとよく勉強したのは、中学受験の時期と、大学入試のときくらい。ただ中学に入ったあと、親たちにも受験勉強したから1年くらいは遊んでいいなんていわれてたもんだから、本当にそうだと思って遊んでたら、一学年に百六十数人生徒がいた中で百六十番くらいになっちゃって。こりゃまずいと思ってちょっとだけ勉強しましたが(笑)。

 大学に入る前は、あんまり深く考えずに公務員になろうと思ってました。日本全体のことについて考えたり、そういった物事に取り組んだり、そういうのが面白そうだなという漠然とした考えで。何を、どうしようという具体的なイメージはなかったですね。

議論を重ね、視野を広げる

濱田純一さん

 ちょうど僕が東大に入ったときに、学生運動が盛んだったんです。昭和43年に入学して、7月からだったと思うんだけど、駒場が無期限ストに入ってね。あの時は、大学のあり方だとか、社会のあり方だとか、クラス単位でそういったことを議論してた。具体的な内容と抽象的な内容と両方で、「ストライキを継続するのか」とか、ちょうどベトナム戦争反対運動の時期だったから、「アメリカがベトナムに介入して、それを日本が支援していることをどう考えるのか」という話だとか。だから友達とどっかへ遊びに行くというよりも、記憶に残ってるのは、あっちで議論したりこっちで議論したりというような、そういうことが多いですね。本郷に進んでからも、授業は始まってたけどまだちょっとガタガタしてたから、集中的に勉強したのは4年の夏以降でした。だから僕の時代は、勉強する時間が学校の授業ではなくて、自分で勉強したり、友達と議論したりする、そういう時間がとっても多かったという思い出があります。

 学部時代には、そういう社会に対する批判的な見方ってのができてきたから、「公務員なんてやってていいのかな」という思いがありました。やっぱりそう思うと、高校までは社会というものが全く見えてなかったですね。自分の身の回りの世界だけで。だから一気に社会全体が自分なりの見え方で見えてきたという、そういう感じがしましたね。

 大学院は法学政治学研究科で、憲法をやってました。学部であんまり勉強してなかったから、院に入ってから初めて大学の勉強・学問の面白さというのがわかった気がします。だいたい法学系の研究科だと最初に入ったときに、どういうテーマをやるかということもあるんだけど、どの国をやるかっていう選択があるんですね。今の日本の制度も昔に海外から輸入したものだったという影響がまだ残ってるので、日本の法制度を研究する上でも前提として、同じような法制度が海外ではどうなっているのかと、まずそういうことを研究させられました。英米系をやるのか、フランスをやるのかドイツをやるのかという大きな選択があって、僕はドイツをやることにしたんです。

 ちょうど行政法を教えていらっしゃった塩野宏先生が、ドイツ語をずいぶん丁寧に教えてくれましたね。今でもそういうスタイルでやっているゼミがあると思いますが、ゼミの中で、原書文献の文章1行1行についてじっくり議論しながら、1回で1ページくらいやっと読めるかどうか、という形の勉強をした。あれがとても力になりました。ひとつの概念の理解の仕方、論理の組み立て方、もちろん言葉を翻訳するテクニック、そういう基本的なスキルをあのゼミで学びました。

新聞研究所に碇を下ろすまで

 修士課程からずっと、「制度と自由のかかわり方」について研究していたんですが、その中で材料にしたのがメディアの自由の問題だったんです。特にドイツは憲法的な観点から新聞の自由や放送の自由を本格的に論じる文献が非常に多くて、そういうのをずいぶん読み込んでいました。当時は博士論文というのはハードルが高くて、そう簡単には博士号は取れず、就職先のほうが先に見つかって出ていくのが一般的だったんです。僕も博士論文を仕上げる前に、メディア関連の研究をしていたということもあって、「新聞研究所(現・情報学環・学際情報学府)にポストがあるよ」と紹介された。新聞研は当時、法学政治学系・経済学系・社会学社会心理学系という3つくらいの分野に分かれてて、その中の法学政治学系には政治系の先生はいたんだけど、法律系の先生がいなかったんです。そこを補充したいということで、僕に声がかかったんですね。

 僕としては、とりあえず職があるんだからこれはありがたいと。でも法学系の研究科そのものとは離れることになるから、またいずれどこかの法学部に行こうと思ってたんですね。でも結局そうはならなかった。居心地がよかったんですね(笑)。なんせ小さな研究所だったから家族的な雰囲気があったし、それからもうひとつ、僕は割合、いろんなことを広く浅く知るのが好きなもんですから、そうすると新聞研は法律だけの世界と違って、社会学とか経済学とかいろんな先生がいるから面白いんですね。しかも同僚だから、各分野のエッセンスを噛み砕いて教えてくれて、これは面白いなあと思っているうちにそのまま居ついちゃって。もうその後はずっと同じところです。所属組織の名前だけは変わっていきましたけどね。


1.学生時代 | 2.一教員から東京大学総長へ


このページにコメントを送る
このページへの評価:
いい!よくない!
掲載日:09-07-31
担当:松澤有
*