自分を発信して

1.フリーランスのデザイナーになるまで | 2.デザイナーとしての資質


 ある日、筆者が授業の合間に秋葉原を散策していると、一冊の綺麗な装丁の本が目に留まった。表紙には『Photoshop Elements漫画テクニック』の文字。ちょうどCGを描くための教本を探していたので手にとってみると、その説明のわかりやすいこと。表紙にあった CGのタッチが好みだったこともあって、その場で買ってしまった。

 家に帰って著者紹介を見てみると、何と著者は東大卒の方だった。

 今回は、グラフィックデザイナーとしてデザイン素材集やCG・Flashなどの教則本を執筆している井上のきあさんにお話を伺った。

子供の頃から絵を描いていた

 子供の頃から絵を描いていました。絵を描くことは本当に好きでした。が、わたしの中での比重はそれほど大きいわけではなく、工作や手芸と同じレベルでした。ジャンルとしては「創作系」でひとくくりにできますけどね。子供の頃は、何かしら「夢」を持たなくてはいけないということを言われるでしょう。そこでまあ通りのいいものをとりあえずキープしとくと楽なわけです。わたしは、「絵を描ける仕事で、なおかつ芸術方面ではない(死んだあとに評価されるような茨の道系ではなくて、ちゃんと金が稼げるような)仕事は、漫画家しかない」と思いこんでいました。だから、「夢は?」って聞かれると「漫画家」って答えていました。そうしているうちに、自分で自分を洗脳し始めたようです。「自分は漫画家になりたいんだ、漫画家になりたいんだ」っていう感じで。高校生くらいまで、よくわからずにずっと漫画家の夢を追っていましたね。

東大に入った経緯

 絵を描くことは本当に好きで、学校から帰ったらとにかくできるだけ早く宿題を片付けて、やらなきゃいけないこと全部やって、そのあと睡眠時間を削りながら絵を描いてました。同人誌もやってました。文化祭の前は徹夜でボード描いたり、高校美術展用のでっかいキャンバスを自分の部屋に持ち込んで、絵の具のにおいにまみれながら寝たり。そんな状態だと、「美大にいきたいかも」って思うのは自然でしょう。描いたりつくったりすることが好きな人たちに揉まれて、4年間美術漬けになれたら楽しいだろうな、と思っていました。ただ、美大に合格するためには、予備校通ってデッサンとかやって、その上美大の先生が気に入る絵が描けなければならない、という話をどこからか聞いていたので(学校によってはそうでもないらしいんですけど)、ただぼんやりと考えてただけで、選択肢に入ってなかったです。家系的に美的センスはないから無理、ってずっと言い聞かされてたのもありますね。

当時の駒場寮付近
当時の駒場寮付近

 だからといって「東大」という選択肢はわたしにとってはもっとありえなくって、あんなところはマシン語で会話できるような人たちが行くものだと思ってました。そんなわけで、高校3年の秋までは東大の「と」の字も頭になく、それがどうして受験することになったんだかあんまり覚えてないですけど、おそらく「ほら、やっぱり駄目でしょ?」ということを身をもって示したかったからだと思います。記念受験みたいなもので。ところが落ちて地元に戻ってきたら、なんだか「浪人すればいける」ということになっていて(笑)、これは東大入るまでは好きなことできないな、と思ったので、最短コースで入れそうな方法を考えて。さっさと大学を卒業して就職して、余った時間で絵を描こう、という非常に消極的な人生設計だったんです。現役時代は理系(だから最初に受けたのは理科二類)だったのを、文転して文三狙いに変更しました。決して文三が簡単だというわけじゃないです(倍率的には文二と変わらない)。得意科目が地理歴史と数学で、これを活かせるのは文系で、さらに文三の「なんとなくその他」という立ち位置がよかった。ただ、私大用の文転とは違って、やったことない科目を自分でやらねばならなかったので、かなりばくちに近いものがありました。結果的に合格できたからよかったですけどね。

浪人時代に得たもの

 浪人、とっても悲壮な感じではなくて、けっこう楽しく過ごしてました。学校の勉強は嫌いだけど、自分で履修計画立てて勉強するのは好きだったようです。このときに得たものは思いのほか大きかったと思います。さっきもでてきた話ですけど、現役時代は理系だったので、東大の文系を受験するためには地歴の科目が一つ足りない。日本史は履修済みで、歴史は好きだったので、世界史をやることにしました。で、要点などを参考書に書き足しているうちに「自分で参考書を作ったほうがわかりやすい」と思いはじめ(たぶん市販の参考書のデザインが気に入らなかったんでしょう)、ノートに一からまとめているうちに、参考書執筆&レイアウトデザインのほうに完全に興味が移っていました。おかげで要点はばっちりおぼえましたけど。思えばこの頃からデザインというものに漠然と興味を持ってたんでしょうね。

東大に入学してから

 そんなわけでかなりやけくそ気味に入った東大ですが、入ってよかったと思うこともたくさんありましたよ。まず、いい意味で変な人が多い。卒業したらどこに行っても変人扱いされるんですが、在学中は気にしたことなかった。かなりのびのびと過ごすことができました。


サークルでの作品

 入学直後は、ごく普通に大学生してたはずなんですが、「文三劇場」(毎年駒場祭で文科三類の学生をはじめとした様々な演劇団体が公演する催し)あたりから大きく道を踏み外したような気がします。これがきっかけで知り合った友達と、サブカルちっくな新しいサークル(創造集団負け犬会、たぶんもうない)をつくって、演劇でも映画でもやりたいことを片っ端からやってみました。老舗のサークルだとしがらみあるし、専門サークルだとそれ以外のことがやりづらいし、新しいサークルというのはちょうどよかったんでしょうね。みんな芸達者で、なんでもつくれちゃう人や文章が上手い人、おもしろい映像が撮れる人などがそろっていましたから、お互いにいい影響を受けつついろんなことをしてました。わたしも脚本かいたり写真撮ったりポスター作ったり、好き勝手。学生会館前ででっかい看板描いてたら、元映画館の看板描きだったという用務員のおじさんと仲良くなったりしたのもいい思い出です。そういえば、駒場祭のポスターのデザインを募集しているというので出してみたら、ある日駒場の正門前に見覚えのある絵が大量に貼ってあって、それで採用されたことに気づく(連絡しようよ駒場祭委員会)、ってなこともありました。

当時のキャンパス内にて
当時のキャンパス内にて

 進学振り分けのときに文学部の美術史を選んだのは、絵が関係してそう、というくらいの理由です。当時「美」という字が入ってる専修には「美術史」と「美学」があって、美学は概念的すぎるような気がして、なんとなく美術史を選んだという。今思えば工学部の建築学科目指したほうがよかったのかもしれない。そっちは理系だから今度は理転する必要あるんだけど。美術史は、すでに存在する作品の歴史や意味を資料や文献から探る学問で、そもそも人がつくったものに関心がないわたしは、いかんせんまったく興味がわかなかったです。先生ごめんなさい。ただ、どうやって描いたか再現することや、模写しながら共通点や流れを探すことにはすごく興味があるみたいなので、在学中にそれに気づけばはまっていたかも。

仕事の相棒との出会い

最初のPC
最初のPC

 パソコンと出会ったのは、大学時代でした。当時の駒場の先生(それもかなりの数)が何故か、ワープロで打ったレポートしか見ない、と言いだしたのがきっかけです。おそらく学生の悪筆に困り果てての所業でしょう。で、当時ワープロなど持っていなかったわたしはどうしようかな、と思って、学校のパソコンを使うという手も考えたんですが、めんどくさいし、OSはWindows3.1とかでよくわかんないしで(ブラウザはモザイクとかいう時代)。いろいろ考えた結果、パソコンにプリンターを接続すればワープロ代わりになるかな、この際パソコンにも慣れよう、というわけで、パソコンを買ってみたんです。そんな低レベルの奴がいきなりパソコン買うか?という感じですが、高校時代は「物理部」という、ほぼパソコン部みたいなところに入り浸ってたので、そんなに抵抗はなかったんですね。そのとき選んだ機種がMacintoshで、その中にたまたま「クラリスワークス」という描画ソフトが入っていました。それを色々いじってみたら、けっこう色々描けることがわかったんです。グラデトーンとかもできるし、市松模様なんかも簡単につくれる。しょぼいけど3Dっぽいのもできる。パソコンで絵を描けば、アナログと比べて必要な道具がぐっと減るし、散らからないし、維持費もほとんどかからない。電気代だけ。もともと貧乏性の私は「絵はパソコンで描こう」とすぐに思いました。

漫画家志望から、デザイナー志望へ

『東大98』
『東大98』

 転機となったのは、『東大98』という本かもしれません。毎年東大新聞社から出ている、まあ東大ってどんなところか、というのをまとめた本で、当時東京大学新聞社にいた友人が、わたしが絵を描くのが好きというのを知ってて、「手伝ってくれない?」と声をかけてくれたんです。最初はイラストだけ、という話だったんですが、なりゆきで誌面デザインにも手を出し、気がついたら進行管理なんかも手伝って(笑)、その作業で掴んだものが今につながってるような気がしますね。

 デザインはほとんど独学でおぼえました。わたしみたいなド素人が、いきなり誌面のデザインまでやれたのは、パソコンの存在が大きいです。いまでこそDTP(編注:書籍や新聞などの編集作業をコンピューター上で行い、プリンターで出力すること)は当たり前の技術ですが、当時はちょうどそのDTPがやっと商業的に使えるようになった頃で、タイミングもよかったんですね。東大新聞関係者にDTPに詳しい人がいたので、最初にちょっと教えを請いましたが、「画像のカラーモードはCMYKで350dpi、トンボは4色に分解する、あとは(自分で)がんばってねー」てな感じだったので、自信もって独学って言えます(笑)。実際、デザインって教えてもらってどうにかなるものでもないし。ではどうしたかというと、基礎的な技術は、雑誌とかそれこそ今自分が書いてるような本を買ってきておぼえました。あとは自分がきれい、と思った雑誌の段組や余白などを、実際に定規で測って真似したり、文字のサイズを納得がいくまでいじってみたり。そうやってレイアウトをしていると、だんだん、行間を詰めすぎると読みづらい、タイトルと本文の文字サイズが近いとメリハリがない、といったレイアウトのコツがわかってくるんです。そうやって培ったノウハウを、大学のレポートのレイアウトなどにも活かしてたので、今見ても、いい組み方してるなーと思うことありますよ。今みたいに小手先でやってるわけじゃないから、余計。

 そういったことをやってみて、自分の中で何かピンと来たものがあったんです。その手があったか、という感じ。絵を描ける仕事で、なおかつ金になる仕事は、漫画家だけじゃないんだな。パソコンを使って絵を描いたり、デザインしたりする仕事もあるんだな、と感じたんですね。もっと早く気づけよ、って感じですけどね。で、CGをたくさん使うところといえばゲームメーカー、という短絡的な発想で、ゲームメーカーでグラフィックデザイナーやろう、と思って、そこに的を絞って就職活動しました。このへんの単純な発想は、進振りのときと何も変わってない(笑)。

水が合わなかったゲーム会社

 とんでもない就職氷河期だったにもかかわらず、運よく一番いきたいと思っていたゲームメーカーに就職できたまではよかったんですが、配属された部署が制作進行。制作進行というのは、プログラムとグラフィック以外のすべてをやる、という、企画立案からテストプレイ・マニュアル制作・広告関係・場合によってはシナリオまで手がける、というように、非常にマルチな仕事なんです。人によってはたまらなくやりがいのある仕事だと思うんですが、わたしは末端でこつこつなにかつくってるほうが性にあってて、人に指示してやってもらうのがすごく苦手。で、制作進行の仕事をしつつも、しつこく「CGやりたい」と言ってたんですが、当時は(その会社での)CGデザイナーへの道は険しくて、美大か専門学校を出てないと駄目、という感じでした。まあわたしのほうも、果たしてわたしに美的センスはあるのか、商業的に通用するのか、ということはまったくわからなかったし、仕事で好きなことをやれるのはほんの一握りの人、というのも十分わかってたので、仕事は仕事としてこなし、たまに企画書に凝ったりして遊んでました。

 サラリーマンやってる間も、友人経由でデザインの仕事がきたりするのでそれやったり、本の挿絵描いたり、雑誌で連載手伝ったりして、ある意味憂さ晴らし(笑)。基本的に副業だめ、という会社だったので、絶対に会社のほうの業務に支障ださないようにかなり気を遣いました。そうこうしてるうちに、生活できるくらいは稼げるようになってたので、もうこっちのほうにいきたいな、と思って、会社を辞めたんです。副業を本業にするのはとても勇気がいることのように感じられるかもしれませんが、わたしの場合ある程度稼げる、という目処がついてから乗り換えたので、ほとんど迷いはありませんでした。

 会社にいた期間も、決して遠回りでも無駄でもなくて、むしろそこで学んだことが今すごく活きていますね。会社自体も、すごくしっかりしたいい会社だったんですよ。マニュアルの書き方を知っていたことが今のライター業にすごく役立っているし、広告関係の進行管理してたことである程度コピーも書けるようになったし。テストプレイを見てたので素材集のROMチェックにもひるまない(笑)。そこではホームページの制作も任されていたのですが、HTMLの書き方もそれがきっかけでおぼえました。『東大98』のときと同じで独学です。自分がいいと思ったページのソースを見ておぼえるという。

そしてフリーランスへ

 会社辞めてからはずっとフリーランスで仕事してます。本の挿絵やチラシのデザイン、Web制作などをいろいろやってました。今のような教則本の執筆をはじめたのは2,3年前かな。アマゾンなんかを見てると、一人で書いてる割にけっこうすごい冊数になってるんですが、実はここ2,3年で書いたものなんです。今のところ単著は10冊前後、寄稿はもう把握できてない(笑)。

 UT-Lifeの記者さんの反応や、過去の記事なんかを見てると、フリーランスを特別視してるような感じを受けるんですが、なんでもない、サラリーマン以外のなにか、くらいのものです。仕事なければただの無職だし、サラリーマンみたいにいろいろ保障もないし、クライアントがギャラ未払いのまま逃亡、てこともありますから、気が弱い人や安定志向のひとは絶対やめたほうがいいです。いいときも悪いときもあることをわかっていて、それを平均してみることができないと難しいと思います。

 わたしみたいな素人あがりがなんとか仕事できているのは、いろいろタイミングがよかったから、具体的にはパソコンのおかげだと思っています。パソコンを使えば、訓練された人でなくてもきれいな線が引けるし、美しいグラデーションが描ける。専門教育を受けてないわたしがこんな仕事ができたのは、やはり絵を描く道具としてパソコンがあったことが大きいんです。それも、ちゃんと使い物になる状態まで進化した状態であったこと。わたしはほんとうに運がよかったと思います。


1.フリーランスのデザイナーになるまで | 2.デザイナーとしての資質


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掲載日:08-05-13
担当:UT-Life