既成概念にとらわれない

1. 銀行員からプロ棋士へ| 2. プロ棋士としての使命〜プロとアマチュアをつなぐ〜

 東大卒業後日本興業銀行に入行し、その後プロ棋士になり九段にまで登りつめた異色のプロ棋士石倉昇九段。現在教養学部の全学体験ゼミナールの特任教授も務める石倉さんに、プロ棋士になるまでの苦労や今後の目標について伺った。

どのような学生生活を送られていましたか。

石倉昇さん

 ずいぶん前のことだから大分忘れましたけれど、東大に入ったのが昭和48年です。そして当時も囲碁部がありました。伝統のある部なんですが、私が入学した当初はちょっとさびれていました。そしてこれは、本当に巡り会わせと思いますが、私が入学した前年にプレハブの部室ができたのです。その結果私が入学した年から部員が大勢入ってくるようになってきました。それまでは部室がなく、どこかの碁会所(有料で碁を打つことができる場所。アマチュアの有段者が多く集まる)に集まってやってるような状況だったから、なかなか入りにくかったのです。

ところが部室ができて常時いられるような状態になって、そこで結局、大学で部室にいることが多くなって、碁にのめり込んだという感じですね。元々子供の頃から高校時代もずっと囲碁をしていて、高校時代も高校生チャンピオンになったりしました。しかし、大学に入ってからも続ける気はそんなになかったんです。けれどもたまたま部室ができたという環境と、高校生チャンピオンの実力を買われて、先輩達からのかなり強引な誘いがあって囲碁部に入りました。どうも囲碁から離れられない運命らしいと思っていました。大学を4年間で卒業できましたが、勉強し足りなかったほうでした。実際、4年生の時には全国大会で個人戦で優勝ということもあったくらい囲碁のほうにのめりこんでいたんです。それと、囲碁部に入っちゃうと、毎週日曜日に何か大会があるんですよね。個人戦だったり、団体戦だったり、そして、また勝つと全国大会とか。それに一般のアマチュアの大会も出ているといつも何かの大会がありました。平日はそれに備えて練習という調子で4年間過ごしちゃった感じですね。

当初の自分なりの予定としては、囲碁にはまってしまうので、それはやるんだけれど、法学部だったので、もう1年ぐらい勉強するつもりだったんですよね。今はよく知らないけど、法学部は大体4年で卒業しない人が多かったんですよね。司法試験を受ける人がいて5年、6年大学にいる人が多かったんです。私も5年いるつもりでしたが、日本興業銀行に就職が決まっちゃったので、単位とって早く就職しようということになりました。大学でもう一年勉強したいですって言ったんだけれど、日本興業銀行の先輩からは、勉強は銀行に入ってから十分できるから、銀行入ってから勉強すれば良いよ、早く銀行入って生きた経済の勉強したほうが良いよって言われました。当時日本興業銀行が人気の企業だったということもありました。

銀行マンとなられて、そこからプロ棋士を目指したきっかけは何ですか?

 本当に囲碁から離れられない運命っていうのがありましてね。東大に入った時も「ちょっと囲碁はしばらく休む、いろんなサークル入ろう」と思ったんだけれど結局囲碁部に入りました。学生時代あんまり勉強していないので、銀行に入ってからも仕事を覚えることを頑張ろうと思いました。なぜなら銀行に来る人たちは大学まじめにやっていた人たちも多いわけですよね。そういう人たちに負けないようにいろいろ経済の勉強をしていこうと思っていました。

 ところが、ちょうど銀行に入って2年目の冬にプロを目指すきっかけになった出来事が起こります。中国に囲碁の親善使節団の一員としていかないかって言われたんですよ。プロ棋士が4人とアマチュア代表は僕1人。2週間、中国に行って囲碁を打つというものです。アマチュアは日本から1人。僕よりももっと強いアマチュアの人は何人もいるわけです。しかし何故私が選ばれたかと言うと、その前年中国からの代表団が来たときに、日本のアマチュア何人かが中国のアマチュアの方と対局した中で、どういうわけか私だけ勝ったからです。ちなみに中国は、今はプロがいて強いけれど当時はプロがなかったから全員アマチュアでした。そんなこともあって、私が代表になりました。

そういうことで使節団の一人として、2週間、中国にいました。昭和53年の11月のことです。一緒に行ったプロ棋士のうち団長はベテランですけど、残りの3人は同年代のプロ棋士でした。その2週間は、昼間は中国の選手と囲碁を打って、それが終わると遊びに行くところはなかったので、ちょことちょこと銀行の仕事をしていました。銀行を2週間休むって結構大変なんですよ(笑)。しかも仕事ではなく碁を打ちに行くわけですよ。だから後ろめたい気持ちもあって、なんとなく仕事を少し持って行ってやっていたわけです。一方、その間プロ棋士の方は部屋で碁の検討とか碁の研究とかずっとやってるわけですよ。私が仕事をしていると、彼らはずっと碁を打ってるわけですよ。だからなんだか羨ましくなっちゃって「碁打ちはいいな」と思ったんです。

それともう一つはプロ棋士の本当の姿を知ったというのが大きかったです。プロ棋士というのは一般の人から見ると、勝負師とかいわれて、ちょっと一般社会から隔離されているような何か変わった人たちでしょう。実際私も碁とか将棋のことしか出来なくて、ほかのことは何も知らなくて酒ばっか飲んでんだろうって、博打ばっかやってんだろうというイメージを持っていました。その頃の私は、碁自体は、まぁ、プロに近い棋力はあったけど、プロとの接点はあまりなかったんです。東大の囲碁部の顧問になっていただいていたベテランの先生ぐらいしか接触がなくて、同年代のプロ棋士ってのは全く知らなかった。ところが中国で2週間一緒にいたら、彼たちはそうじゃないんですよ。十分に一般常識があるんですよ。あとで考えると、私のイメージが完全に誤っていたわけではなかったから、すごくいい人たちと一緒にいたと思います。

それで彼らに色々聞いてみたら、碁打ちになったらただ碁を打っているだけじゃない。碁を通していろんな社会勉強できるっていうことを聞いたんですよ。つまり、いろんな会社の社長さんとか碁をやる人が多いんです。そういうところに教えに行ったりすると、碁が終わった後、食事したりして話を聞く機会があると。結構普通は聞けないような話が聞けたりすることがあるんですよ。こっちは別に取引先でも何でもないから気楽に経済のこととか、景気はどうだとか今こういうことをやってるだとか、その人の生き方とか話してくださるらしいんです。当時の私は、銀行入ってすぐの23才の若造ですよね。当然銀行で一番下です。そうすると取引先の偉い人といってもせいぜい部長さんぐらいですから、それに比べると社会勉強にもなるし、結構色々幅広くできるなと思いました。

さらに碁というものは知られてないことがあまりにも多すぎるということがあったわけですよね。プロの棋士に対しても博打うちみたいな飲んだくれているやつだぐらいにしか思われていない。もっと碁っていうものを社会に知らしめる、知ってもらうっていうこともできるのかなと色々夢が広がってきましてね。海外にもどんどん普及したりとかね。まだまだそういう意味で非常に閉鎖的で遅れた世界であるから、そこをちょっと広げるっていうのも面白いのかなと思ったんです。

それで2週間、中国に行って帰ってきたらすっかりプロになるという気持ちになってたんですよ。この2週間がなかったらそのまま銀行員でいたと思います。当時24歳までしかプロ試験の受験資格がなかったんですが、その当時も23歳で、すぐ24歳になるので、年齢的にもプロになるっていうのはワンチャンスだった。だから銀行を昭和54年の4月に辞めたんです。その年の7月からプロの試験を受けた。その時24歳。銀行を辞めてるからもう背水の陣。定員2名だからかなり厳しいです。

しかもプロ試験は外部からは1年に1回。プロというのは、普通日本棋院の中に、天才少年みたいなのがいっぱいいて、「院生」というんですが、彼ら彼女らがなるものなのです。将棋で言う「奨励会」ですね。そして院生以外の外部から受けるのは「外来」といいますが、院生が強すぎてなかなか入れないんですよ。ちなみに院生でいられるのは18歳までかな。そのあとは外来としてプロ試験を受けることになります。そして外部から入る場合は24歳まで。そこに24歳で背水の陣で臨んで、よく受かったなと思います。同じこと2度しろって言われてもとてもできません。

やはり東大入試よりプロ試験のほうが難しいですか。

石倉昇さん

  これは、東大入試は後があるわけですよ。落ちても翌年受ければいいじゃないですか。だから割と気楽に受けていましたね。しかも麻布だったので受かる人は割と多くいましたからね。友達も大勢受かっていましたからね。大学入試の場合学校にもよると思うけど、いわゆる受験校といわれるところだと、友達が受けるから、一緒に頑張ろうみたいな連帯感があるんですよね。

 ところがプロ試験は本当に孤独な戦いだし、背水の陣だし。翌年がなかったっていうのがきつかったですね。当時24歳。受かんないと単なる失業者だったよね。実は、銀行を辞めるという時に上司の人に、「辞めることない。休暇取って、試験だけ受けて駄目だと会社に戻ればいいじゃないの」って言われたものです。それが普通です。僕の後も、サラリーマン辞めてプロになった人いるんだけど、多くはダメだったら戻るっていう形で受けています。

でも私は辞めなきゃ受かんなかったと思います。なぜなら相手はみんな束になってかかってくるから。私が受けた時、受験生が全部で13人いてそのうち12人が院生で外部からは私1人だけ受けました。もちろん院生ってもっとたくさんいるんですよ。たくさんいるけれど、プロ試験受けられるのは上位の12人だけ。こちらも一応学生チャンピオンだったからそこに入れてもらって、その中で総当たりでやって上位2人がプロになれるという仕組みでした。受験生はみんなプロになっておかしくない人で、一緒に受けたその院生のメンバーの中には、その後、名人になる依田紀基さんがいたんだけど、ものすごく強かった。そして院生はやっぱり東大の頭と碁打ちの頭は違うんだよって思ってるわけ。なんだか束になってかかってくる感じはすごくありましたよ。院生がどのくらい強いか知らないで受けた。学生チャンピオンなんだから受かんないわけないというふうに思って受けたら、院生がみんなえらい強いからびっくりした。しかも13歳の人とかもいてびっくりした。

あまり院生の強さを知らないで受けたということですか?

 しっかり調査してたら受けてないよね(笑)。銀行辞めてプロ試験まで2ヶ月くらいあったから、その時にプロの人たちが主催している先生の研究会に出させてもらったんだけど、そこに院生もいるんだよね。その時に院生の強さが分かった。これはえらいところに挑戦したな、と思いました。そこに12歳の少年がいたんだけど、何かものすごく強いんだよね。他にもそういう人が何人もいました。その辺も全部負かさないとプロになれないわけですよ。どうにかなると思ってたのかな。後輩が同じこと相談に来たら止めたほうがいいよって言う。

もしだめだったら、また司法試験受ければっていうことを思っていたんだろうね。一応法学部でてるから、勉強すればなんとかなるかなと思ってたのかな。今そんなこととてもできないけど、人生別にどうにかなるよってすごい楽観的に思っていたから。今じゃとても考えられないけど、割と駄目だったらどうしようかって深刻に考えたことはなかったですね。でも全部勝ったわけじゃないんです。13人総当たりだから12局打つわけです。幸い最初5連勝したんだけど、そのあと2連敗しているんです。それで、3敗すると大体ダメなんです。しかも外来だと、同じ成績になったら院生のほうが優先的にプロになれるから3敗したら絶望なんです。つまり5勝2敗してから、あと5局全部勝たないといけない。自分でもよく勝てたなと思うんだけど、多分背水の陣でいたから迫力で勝てたんだと思います。これが、銀行に戻れるっていう状態だったら、5勝2敗になったら時点で「もう駄目だな。まぁいいや、銀行に戻れば」って思っていたと思います。そしてそうなったら絶対勝てないわけ。だから銀行を辞めてよかったと思う。

プロになって、東大出身または銀行マンだったという理由で、普通の棋士とちょっと違いを感じた経験があれば教えてください。

 プロ試験の時もそうだったんだけど、最初は目の敵とでも言えばいいのかなそういう風に思われていたと思います。そもそも東大卒の棋士ってそれまで1人もいなくて、僕のあと2人なっているんですが、僕が第1号ですから。もっと言えば、大学卒の棋士の自体がほとんどいなかったんですよ。最近は結構増えてきましたけど、それでも大学卒業してからプロではなくて、プロになってから大学行くとか、大学行きながらプロやってるという人たちですね。それで、当時の棋士は大体中卒だったんです。中学でて高校行かずに内弟子として先生の家で住み込みで、ずっと勉強しているっていう子たちでしたから、そういう意味では、ものすごくみんなで束になってかかってくるっていう雰囲気がありましたね。

でも、プロを2年ぐらいやったころから普通になりましたね。2年目に僕ものすごく成績が良くて、新人賞取ったんですよ。つまり成績が一番だったんだよね。35勝5敗とかすごい成績でね。そのへんから「ああ彼は東大卒だけど碁も結構強いんだ」と認めてくれるようになって、それから妙ないじめみたいなのはなくなりましたね。最初は先輩のいじめも相当あったからね。具体的には口きかないとかぐらいでしたけど。先輩と言っても若くしてプロになって、私と同年代ですでに五段の人とかがいるわけですよ。それでその時私は初段だったけど、口きいてくれないとかね。

でもむしろそのあとはプラスに作用したかな。ちょっとどこかで碁の話をするときとかに東大出てんだからしゃべれるだろうという理由で「お前やれ」って言われるんですよ。全然そんなことないんだけど。そういう意味ではトータルすると、ものすごいプラスになっていると思います。

九段になられるまでのことについて教えてください。

 プロに入ってすぐ思ったことだけど、一緒に入った人、名人になった依田紀基さんとかと対戦していくなかで、彼らと決定的に違うなと思ったんだよね。というのは彼らは囲碁を体でも覚えているけれども僕は頭で覚えているということです。それで、頭で覚えている人と体で覚えている人とはやっぱり根本的に違うんですよね。違うんだけれどもだから駄目だっていうわけにはいかないでしょう。

そこで彼らにあって自分にないものはなにかって言うと、院生修行という「詰碁(つめご)」の修行を院生の子供たちはするんです。詰碁は詰将棋みたいなものです。院生だった棋士は子供の時からずっと詰碁を毎日やるのが当たり前で常にやっているんです。ところが学生は概してプロや院生に比べると詰碁をあまりやっていない。むしろ実戦で覚えていくというか、プロの名人の棋譜を研究するとかに時間裂いているんです。だから決定的に彼らがやっている勉強をしていなかったなって思って、そういう勉強を猛烈にやりましたね。これをやらないとプロとしてやっていけないと分かったから本当に必死でした。結果として1年目は駄目だったんだけど、2年目は大勝ちしました。そこで2年目は自信がつきました。一応体で覚えている人にも勝てることが分かったのは大きかったです。

自信が付いてくると、当初は、院生上がりのプロを異質なものだと思ってたんですけど、その彼らと同じ土俵で戦えるようになってきました。研究会などでも割と人間関係ができて、仲良くなりました。転校生でもそうだけど、どこでも新入りの人ってどんな奴か暫く試すよね。それで2年目の新人賞があったから、みんな認めてくれて、無視することもしなくなってきました。またいろんな集まりでも発言するのが気が引けるっていうのか、小さくなっていたのが、どんどん出ていけるようになりました。そこに行くまでが一番大変だったかな。

そこで一つ掴んでからは順調だったということですか?

 やはり、そこで基本的なものを培っちゃったから、なんとかなったっていうのがあります。そしてもう一つ、五段の時、つまりプロになって7年目の昭和61年かな、その時にものすごく勝ったことがありました。その時にもう一つ飛躍があったと思います。これは仲間ではなく、もっと上の凄い人たちと対戦するところまで勝ち残っていったときがあったんです。それまでは下の若手のプロには勝てるんだけど、上の八段、九段の先生方には全く勝てなかったんです。それが7年目に上の人に勝てるようになったんです。時々は九段の先生にも勝てるという自信になってきて、今のこの状態でいいんだ、このやり方でいいんだって思えました。

自分のスタイルっていうのは、子供のころから鍛えてきた子と同じスタイルはできないんですよ。一応受験勉強してきたから、自分なりに東大生スタイルってのがあるんですよね。みなさんもあると思うけど、受験勉強するときに段取り決めて、こういうことを勉強しましょうとやって積み上げていくやり方です。私は天才派じゃないわけ。東大の中には天才はいっぱいいるけど、受験とかは努力でしょう。だからそのやり方で積み上げていってもある程度はいけるな、九段の先生にも勝てるってことは分かったんですよね。それで、そこまで行ったんで、後は何となくいけたっていう感じですかね。


1. 銀行員からプロ棋士へ| 2. プロ棋士としての使命〜プロとアマチュアをつなぐ〜

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掲載日:11-09-16
担当:稲森貴一
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