現代美術と天満宮

 受験前は特に神頼みしたくなるもの。筆者の地元・福岡には、そんな受験生の味方である学問の神様・菅原道真公をお祀りしている太宰府天満宮がある。今回は福岡まで遠征し、権宮司の西高辻信宏さんにお話を伺った。

少年時代はどんなことに興味を持っていましたか?

西高辻信宏さん

  とにかく色々なことをしました。天満宮の境内に家があり、幼稚園も小学校もすぐそば。自然に囲まれた環境だったのでだったので、友達と子どもだけでいつも境内や山・川で遊んだりしましたね。その点では何にでも好奇心のある子どもだったかもしれません。

 小学校に入ると習い事で少林寺拳法をして、初段まで取りました。他にも水泳やピアノもしていました。

 あとに繋がることとしては、天満宮の宝物殿に子供の頃から入って親しんでいたことがありますね。芸術品に興味を持ったのはそのせいかもしれません。私の祖父は私が6歳の時に亡くなったんですが、それまでに太宰府の話をよく聞かされていて、太宰府への愛着や思いが大きくなりました。

 中学高校と中高一貫校の久留米大学附設高等学校に通っていました。中学ではサッカー部で、高校では美術部でした。美術部では「左手で線を描いて右手とは違った作品を作ってみる」といった、面白い発想を得ましたね。美術部の顧問の先生は気功とか居合とかもやっていて、面白い先生でした。

東大を目指したのはどうしてですか?

 東大を目指したのにはいくつか理由があります。中高一貫の進学校で東大を目指しやすい環境だったということもありますし、また将来を考えれば勉強していく上では東京がいいし、東京の大学ならば色々なものが充実している東大だろうと考えたからというのもあります。文三にしたのは歴史を勉強したかったからです。

東大ではどのように過ごしていましたか?

 サークルはスペランツァFCというサッカーサークルに入りました。当時は作られたばかりのサークルで規模は小さかったのですが、今は大きなサークルになっています。私が3年のときに総長杯で優勝したのが良い思い出です。

 サークル活動以外では青春18切符を使って友達と野宿しながら全国の岬をまわる旅をしたりしました。ビニール袋をかぶって虫に刺されないようにして寝たり、美味しい物を食べたりして、非常に刺激的でした。

 大学4年になる前の春には後輩とヨーロッパをまわる旅もしました。スペインではサグラダ・ファミリアの建設に関わっている外尾悦郎さんとお話して、とても刺激を受けました。他にもフランス・ポーランド・オーストリア・チェコ・スイスと、いろんな国の美術館と建築を見てまわりました。天満宮の参拝者の方には海外からいらっしゃる方も多いので、そういった方に喜んでもらえるような場所にするにはどうしたらいいかなどを考えるときに、こうして自分で旅してみて感じたことを生かせていますね。

 進振りは歴史文化学科美術史学を選びました。哲学っぽい美学芸術学という学科もあったんですが、自分のやりたいことは美術史に近かったので迷いはしませんでした。

 美術史学科に進んだ後、学芸員の資格のために博物館実習をしたとき、西野嘉章先生の授業が面白くて影響を受けました。そこで、展覧会を創り上げる面白さを知りましたね。「真と贋の狭間」という展覧会準備に参加して、現代美術も古美術も本もいろんなモノが混在し、響きあい展覧会が仕上げられていく。発想の幅が広がりましたね。

 4年の時には作家のマーク・ダイオンさんを呼んで、「東大のものを再構成する」という展覧会企画にも参加しました。チェキ(ポラロイドカメラ)で東大の中にある好きなモノを撮ってきて、ジャンルに分けて展示をするんです。普段なら文系と理系で分かれているものが一緒になってて面白かったです。アーティストと一緒に一つの企画を創り上げたというのもいい経験になりましたし、ジャンルを超えたテーマというのも興味深かったです。現代美術に興味を持ったきっかけはこれですかね。

在学中に学んだことで印象に残ったことはなんですか?

 当時慶應の助教授の先生がやっていた「すずかんゼミ」(編註:参議院議員(2011年現在)の鈴木寛氏のゼミ)に刺激を受けました。「社会のプロデューサーたれ」というテーマのもと、社会全体をいいものにしていく方法について学び、影響を受けました。今は参議院の議員さんで、文部副大臣をされてますね。ゼミも不定期でやっているのではないでしょうか。

 在学中は思わなかったのですが、今思えば東大はいろんな人がいて、東大生であることのメリットも大きかったですね。東大生というだけでいろんな人と会えるし。卒業してからもそういう事を還元できる人になりたいと思っています。

現在のお仕事はどんなお仕事ですか?

西高辻信宏さん

 福岡県にある太宰府天満宮の権宮司です。会社で言えば副社長にあたる役職です。菅原道真公、つまり天神様を祀っているところは全国に 12000社ほどありますが、太宰府天満宮はそのなかでも特別で、天神様のお墓の上にお社が建っています。その為、太宰府天満宮は代々天神様の子孫が守っていくことになっており、私で40代目となります。学生時代は悩んだりもしましたが、最終的には私が長男であり、どこよりも愛着のある場所で役に立てたらと思い、この仕事を継ぎました。

 神社は時間スパンを長く考えることが出来ますから、先人の想いも受け継ぎながら未来に繋げていくにはどうしたらよいかを常々考えています。歴史の一部分を預かっているという意識を持って、新しいこと・喜ばれることにも挑戦しながら次の世代に繋げられるよう活動しています。

お仕事の他にも現代美術に関わる活動をされているそうですね。

 神社の宝物殿には色々な美術品や資料を蒐集・展示してありますが、私は現代美術の作家さんを中心に展覧会を企画しています。アーティストに太宰府に滞在してもらい、太宰府で体験・実感したことをテーマに作品制作をしてもらい、展覧会を行っています。今年は、第6回目としてイギリスのライアン・ガンダーさんによる展覧会が行われています。ワークショップも取り入れ、地域の皆さんにもアーティストにも刺激となるように考えています。

 また、数年前、太宰府天満宮のすぐ隣に九州国立博物館が開館しました。明治期に先祖が「鎮西博物館」建設を提唱し、正式に計画されていたんですが、戦争によって計画は中止されました。戦後になり、再度博物館の誘致運動が行われ、挫折もありましたが、多くの方々の御尽力によって開館しました。天満宮としても、昭和46年に境内地の3分の1を寄贈しましたので、本当に念願の博物館でした。

 個人的にも神社としても思い入れが深く、多くの方に九州国立博物館に親しんでもらいたいと思っています。天満宮と日常的に連携していくのは勿論のこと、現代美術作家の日比野克彦さんと一緒に博物館を応援する企画なども行っています。

アメリカに留学しようと思ったのはなぜですか?

 神道に詳しい先生がハーバードにいらっしゃったというのが理由の一つです。また、私が東大卒業後に進学した國學院大學大学院とハーバード大学には繋がりがあって、中でも大学院でお世話になった阪本是丸先生の影響が大きかったです。

 また、19世紀末に建てられたボストン公共図書館の壁面には、世界中の思想家・哲学者・美術家・音楽家・歴史家の名前が彫ってあります。その中に、菅原道真公の名前があったんです。私の御先祖様ですから、大変興味をもちました。私の祖父がハーバード大学に留学していたこともあって、留学を決めました。所属していたライシャワー研究所では神道美術の研究も出来、改めて日本という国を外から見て考える貴重な時間も持てましたので留学して良かったと思います。

菅原道真公といえば学問の神様ですが、受験生へのメッセージをお願いします。

 最大限の努力をして、そのまま本番で実力が出せるのが一番ですが、いつも全力を出せるわけではありません。そんな時はお参りして頂いて、お守りを持って試験に臨んでもらえれば、心が落ち着くでしょうし、自分の実力以上の力を発揮できるかと思います。頑張ってください。

最後に、東大生へのメッセージをお願いします。

西高辻信宏さん

 大学時代というのは、比較的時間にも余裕があるので、色んなところに行って、色んな人に出会って刺激を受け、思考を深め、意識して過ごしてもらえたらと思います。沢山の仲間と時間を共にしたサークル活動も楽しかったですし、勉強もそれなりにしていたと思うのですが、一方で寝る時間も長かったですし、ゲームをしていた時間もあり…。それは今となってはもったいなかったと感じますね。もっと4年間でできることがあったんじゃないかと。

 あとやはり、東京は地方と比べてヒト、モノ、文化、芸術、政治、経済など多くのカテゴリーで最先端が集約しているので、勉強するにも経験するにも一番都合がいい場所だと思います。地方においては限られた選択肢の中からしか選べないということが多々ありますから、ぜひ学生のうちにこの地の利を生かして、多くのことを体感してほしいですね。社会や大学院に進めば、仕事・研究で忙しくなりますから、大学時代に未来への財産を築きあげる為、有意義に時間を使ってください。

プロフィール

西高辻信宏(にしたかつじ・のぶひろ)

福岡県生まれ。久留米大学附設高等学校から東京大学文科三類に入学、文学部歴史文化学科(美術史学)卒業。國學院大學大学院文学部神道学科に進学し、神主資格取得後、太宰府天満宮に奉職。その後、ハーバード大学ライシャワー研究所の客員研究員を二年間務め、2010年に帰国。現在、福岡県の太宰府天満宮の権宮司を務める。

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掲載日:11-03-08
担当:三ヶ島史人
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