鋭い切り口の源は、与えられた仕事の中に

 「自分なりの切り口」は、与えられた仕事の中で発見する―。NHKで『NHKスペシャル』や『クローズアップ現代』などのドキュメンタリー制作に携わり、『ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』などの著作もあるNHKディレクター・高木徹さん。今回は高木さんに、高校時代からNHKでディレクターとして働くまでのお話、そして東大生へのメッセージを伺った。

高校時代

高木さん

 僕は小学校、中学校、そして高校と筑波大付属でした。いわゆる受験指導みたいなものをしない学校だったので、高校3年の夏までは卓球部で真面目に活動していて大会に出たりしていました。そして秋までバンド活動をしていて学校の文化祭に出たりしました。あとは同じクラスに好きな子が出来たりね。「このままじゃ浪人するな」と思いながら学業以外の好きなことをたくさんやっていたわけですが、そんなことが当時の関心の大半でしたね。でものんびり過ごせたし、結果的によかったなと思っています。

 現役の時は好きだった女の子が京大を受けるということで同じ京大を受験しました。国立大に行くんだろうなというのを学校の雰囲気で感じていたというのもありますけど。でも予想通り落ちてしまって浪人することになりました。

浪人時代

 浪人の1年間は不安もありましたけど集中して勉強しましたね。受験戦略を立てた時に、「京大より東大の方が受かりやすいな」と感じたため志望校を東大に変えました。予備校に通って勉強していたんですが、東大受験の場合文系でも結構決め手となる数学は、高校の時は全くわからなかったけれど、予備校の先生に教わったら「ああ、なるほど、そういうことだったのか!」と理解できたし面白かったですね。だから浪人しても全然心配ないと思いますよ。浪人というのも悪くなかったですね。

東大時代

 当時は「大学レジャーランド」の時代でしたね。

高木さん

 駒場時代の2年間はゴルフサークルに所属してそれなりに打ち込んではいたのですが、あえて言えば「何も打ち込まなかったことに打ち込んだ」と思います。東大に入ってみんなが未経験のことをやってみようと思い、一瞬運動会のアイスホッケー部に入ろうかとも思っていたんですが、結局入りませんでした。でも入っても試合とかには出られずに終わってしまったのかなあとも思います。体格に恵まれている方ではなかったですしね。でも今でもアイスホッケーは一度はやりたいですね。

 文学部第三類(現言語文化学科現代文芸論専修課程)に進学して1年経って4年生になったときに、「このままでは無意味な4年間になってしまう」と思い、アメリカのボストンに語学留学しました。いわゆる「遊学」ですね。4年生の秋から翌年の秋までの1年間の留学だったので、ややもすると戻ってきてから 2年留年するところだったんですが、当時の先生が単位をくれたので卒業できました。アメリカ留学はいろんな意味で価値観が広がる体験だったし、今に生きています。取材の時の英語力とかは特にそうですね。なんだかんだ言って東大の場合は就職の不安が少ないから自由度が高いと思っていたのでこのような経験が出来ました。アメリカでの困難は特になくて、歩いていて東洋人の顔をしていても、平気で道を聞かれたり時間を聞かれたりして、こちらはたどたどしく答えるわけなんですが、そういうところでふところの広さみたいなものを感じましたね。

 アルバイトは家庭教師の他に『朝まで生テレビ』の学生アルバイトをしました。先輩が卒業して辞める時に紹介してもらいその伝手で入りました。1年半くらい続けたこのアルバイトで「テレビ業界で働きたい」という気持ちが強まりました。アルバイトの内容自体は、観客の後ろのボードに貼り付ける視聴者からの意見(電話やFAXで寄せられる)を2行くらいにまとめる簡単な作業だったのですが。番組のプロデューサーが『朝まで生テレビ』の他にも『ニュースステーション』を立ち上げた業界では有名な人だったのですが、とてもいい人で、よく面倒を見てくれました。その人から自然といろんなことが学べました。

高木さん

 マスコミの世界は華やかだなと学生時代ずっと憧れていましたし、3年生になって本郷に進学してから「テレビ業界で働きたい」と自然に思ったわけなんですが、マスコミ志望の学生は当時も世の中にいっぱいいました。しかし、僕の周りにはいませんでしたね。周りはほとんど院進学を希望していましたが、院に行く人は「勉強できる人」で就職する人はそうではない人みたいなところがあったし、僕は院はちょっと無理だと思ったんですよね。

 NHKは実は当時ほとんど見てなくて、どういう番組をやってるのか想像できていませんでした。テレビ業界への就職はやっぱり当時も特別に厳しくて、民放ではフジテレビだけ受かりました。NHKからもその後内定をもらいましたが、NHKには親近感もなかったし、東京生まれ東京育ちなので最初の数年間の地方勤務が嫌だなと感じていました。しかし、NHKの方は職種別採用なので、ディレクター採用で受かった私はやりたかったディレクターの仕事を最初から出来ると約束されていました。これが最後の決め手になりましたね。

NHKに就職して

 入社後の配属は静岡になりました。あれほど嫌だなと感じていた地方勤務ですが、住めば都で全然問題ありませんでした。地方局は小さくてディレクターが8人しかいなかったのですが、静岡での仕事は、ニュース番組のリポート企画や、静岡はサッカーが有名で盛んだったのでサッカー中継、あとはラジオドラマなどで多岐に渡りました。ラジオドラマでは脚本家と相談してストーリーを作ったり、地元の劇団の方を呼んで台本の読み合わせをしたり、収録で演出をしたり。幅広いテレビの表現の勉強をさせてもらいました。

高木さん

 思い出の番組は、清水エスパルスとジュビロ磐田のJリーグ参入争いを追ったドキュメンタリーですね。Jリーグがまだ1年目で、10チームくらいしかなかった時代です。当時はアマチュアの日本リーグ(企業チームから成る)からJリーグに参入するというスタイルが一般的だったのですが、静岡では地域密着で母体となる企業がなく、むしろ小学生のクラブチームとして有名だった清水FCが元になった清水エスパルスと企業のクラブチームであったジュビロ磐田(当時はヤマハ発動機サッカー部)がJリーグ参入を争った結果、清水エスパルスがJリーグに加盟する権利を獲得しました。

 私は、カズこと三浦知良選手らと関係が深く、長谷川健太選手などを輩出した地域密着型チーム・清水エスパルスと、ゴンこと中山雅史選手が所属しプレーしていた企業のクラブチーム・ジュビロ磐田のどちらがJリーグに加盟できるかを事前に追いかけました。当時のジュビロ磐田は強豪だったし地元のスポーツ記者など専門家の間でさえも「絶対ジュビロ磐田がJリーグに入るだろう」と言われていたけれど、「日本のサッカーを大きく変えたい」と思っていた清水FCの育ての親である方や、川淵三郎さん(第10代日本サッカー協会会長[キャプテン])の動向を追いかけたりしているうちに、地域密着型チームで小学生から高校まで選手を養成して有能な選手を輩出していた清水エスパルスの方がJリーグの思想に合っていると感じたんです。その世界について何も知らない、知識がないからこそキャッチできた、怖いもの知らずの勘ですね。他の人が知らないけれど実はおもしろい話に注目するのが好きなんですよね。今でもこのスタイルは同じだと思いますね。

 「アンテナ」なんていうとカッコいいですけど、そういうものは特に意識してないです。NHKで17年間くらい働いてきて一つ言えることは、仕事の半分は自分のやりたい企画(仕事)で、残りの半分はやってくれといわれてする仕事で、やりたい企画(仕事)の基となるものはやってくれといわれてする仕事の中で出合い、発見するということです。全部自分のやりたい仕事に出来れば幸せなんじゃないかと一見思うかもしれないけどそうじゃないんですよね。NHKの朝の『おはよう日本』という番組で海外ニュースを追う仕事をしたことがありますが、毎晩泊まり勤務でしたし自分のやりたい仕事ではなかったのでキツかったです。でも自分のやりたいことだけを追いかけていると世界がどんどん狭まりますし、やっぱりそういう「こんな仕事をするためにこの会社に入ったんじゃない」という仕事が大事なんですよね。私の書いた『戦争広告代理店』という本は『おはよう日本』での辛い勤務の中で発見したものからできたんです。自分だけの発想が最初にボンとあるというよりは、「きっかけは意外と与えられたものの中にあり、そこから自分なりの切り口を作れる」ということです。

東大生へのメッセージ

高木さん

 最近の東大生ってどんな感じなのかわかりませんが、東大に入るといろいろいいことがあると思いますよ。目には見えていないけれど、いろんなところで得をしているんだと思います。大学の4年間はあっという間なので、学内の図書館などは存分に利用し、先生にいろいろ話を聞いたりするといいと思います。普段生活していると感じないかもしれないけど、東大の先生はみんなすごい人ばかりです。東大での学生生活というものが「すごい環境」なんだということは社会に出てから分かりますよ。自分の興味あることを追いつつ、教育機関としての東大、またそこでの人脈を徹底利用するに越したことはないんじゃないでしょうか。

最近の仕事

 8月の終戦記念日の前に『NHKスペシャル』で1本番組を作りました。東京裁判のパール判事についてのドキュメンタリーです。東京裁判でA級戦犯の無罪をただ1人主張した、日本人にとってはうれしい存在であるパール判事とは実際どういう人でどんなことを考えていたのかというのをちゃんと調べてお伝えしようとしたものです。

「NHKスペシャル パール判事は何を問いかけたのか〜東京裁判・知られざる攻防〜」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/070814.html

プロフィール

 1965年東京都生まれ。1990年に東京大学文学部第三類(現言語文化学科現代文芸論専修課程)卒業。NHKにディレクターとして入局。NHKスペシャル「民族浄化」「バーミアン大仏はなぜ破壊されたのか」「情報聖戦」「インドの衝撃」などを担当。著書『戦争広告代理店』(講談社文庫)で講談社ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞、『大仏破壊ービンラディン、9・11へのプレリュード』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。近著に『「バレンタイン流マネジメント」の逆襲』(講談社)がある。


高木徹
『ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボスニア戦争』(単行本)
2002年(講談社)


高木徹
『ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボスニア戦争』(文庫)
2005年(講談社文庫)


高木徹
『大仏破壊』(単行本)
2005年(文藝春秋)


高木徹
『大仏破壊』(文庫)
2007年(文藝春秋)

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掲載日:07-10-02
担当:佐藤愛果
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