なんのために勉強をするの?

 「東大生としての自分」を考えていながら、「東大生らしさ」にとらわれることのない、そんな彼と話していると、内容の濃さにただただ圧倒された。
 「人にはそれぞれの生き方がある。」そう笑顔で話しながら、もっと人の奥にある普遍的なエネルギーを追求していく、一人の若い役者。

踏ん切りをつけるために

岩崎さん

 高校の頃、一番興味を持っていたのは国際経済。その時、自分の特性がどういう仕事に使えるかとか、興味と重なる部分を考えて経済がやりたいと思っていたんだ。今考えるとよくあんなに情報を集めないで自分の将来を考えたなって思うね。大学に入った時は経済をほんとにやるつもりで文科二類に入ったというレアな文二生だったかもしれない(笑)。

 僕にとって受験は、まず小さい頃育った米国の大学ばかりを最初は受けていた経験があるんだ。米国のIvy Leagueの大学に挑戦してから、日本の大学の受験に切り替えた。でも大きな選択の分かれ道に立たされたのは入学後だった。駒場のゼミで、高山博先生のもとで将来設計をやった時だった。いろいろ悩んだ末に発表をしたら、先生に「結局君は俳優になりたいんじゃないの」と指摘をされた。経済をやるにしろ演劇をやるにしろ両立するのは無理、どこかでどちらかを選ばなければいけない時が来るだろうと。

 ずっと演劇が好きだったんですよ、小さい頃から舞台を観て育って、高校の時も舞台を少しやっていて。けど大学には思うような形で演劇に関われる場所がなかった。またそれ以上に大学という新しい環境の変化の中、おもしろいものが周りに沢山あった。だからその時点で演劇に特別目が向いていなかった。けれどあの時先生の言葉を受けて、確かにもっと積極的に演劇に関わっていかないと自分には踏ん切りがつかないと思った。それで大学の外に演劇の活動場所を求めていったんですね。

何も知らないということ

 探していたものが見つかったのは、ほんとにいいタイミングでいい出会いがあったとしか言いようがない。河合祥一郎先生の授業を受けていた時に、先生の『ハムレット』の翻訳を使って舞台上演が予定されていることを偶然ネットで見つけた。蜷川幸雄さんのもとで演出を勉強していた若い演出家が『ハムレット』の公演のために一般からキャストとスタッフを公募していた。その人が蜷川さんのもとで高校の先輩と同じ公演に関わっていたということなど、いろいろ縁を感じ、オーディション・ワークショップを受け、そして主役のハムレットの役をもらった。 そこから舞台芸能の世界が広がっていくことになった。

 あの時、とまどいはなかったですね。知らないということは恐い(笑)。最初の頃、何も見えていないから自信を持っていられた時期があった。なにか一つ手応えを掴むとパッと視野が広がる。もう一つ掴むとパッとまた視野が広がっていく。これだけ知らないものがあるんだって知っていく中で、最初の何も見えていないときの自信は簡単に崩されていく。だけど知らないことがどんどん見えてくる一方で確実に自分が掴んだものはが溜まっていき、それが根拠のある全く新しい自信になる。芝居に限らず根拠のある自信を持つことは大事だと思います。僕は、今ちょうどその二つ目の自信がでてきたところかな。

 僕は『ハムレット』の公演を通して、自分が出来ていることと出来ていないこと、そしてこれからやれば出来そうなことが見えた。そしてそれが舞台の道に進む決意につながった。踏み外すなら思い切り道を踏み外そう、行けるとこまで行こうと決め、学部も経済学部から文学部に移り、今所属している演劇倶楽部『座』の付属演劇研究所に入所した。やっぱり、知らないままだと前にも進めなくて、本気で何かをやってみて初めて見えてくることっていうのがあるよね。

 学業と演劇の両立は不可能ではなく、やろうと思えばできる、やるべきことだと思った。1年の時は学問のためにすごく学校に通っていましたね。2年目は単位が揃ってきたり授業の内容的にも1年の時と重なることが多かったり、自由な時間が増えていき、『ハムレット』の頃は稽古場通いをしていました。3、4年になると学問もより専門的になり、3年の4月から今の演劇倶楽部『座』の研究所に入所したため、もっと両立をしていかないといけない状況になった。授業と稽古が重なったりするスケジュールの中、一番難しかったことは、準備時間の確保。勉強をする時間や準備の時間が必要なんだけれども、それは最悪なくてもどうにかやっていけてしまう。そうしてどちらかというと稽古の準備に比重が偏っていった、というのが僕の場合かな。

 だけど、学問もそれ以外のことも最終的に全部つながっている、だから大事だと思う。もし自分自身にやりたいことがしっかりあれば、一見つながっていないように見えることも、つながる。僕は勉強というのは教わることじゃなくて、学ぶことだと思う。人から受けたものをそのまま受け入れるのではなく、自分の目標ややりたいことがあれば、そこに近づくヒントはたぶんどこにでも見つかる。学ぶために大事なのはむしろどこまでアンテナを広げていられるかだと思う。僕は舞台芸能への想いがあり、たとえば文学部で学んでいる作品を読み解く方法論や論理的思考法、作品の伝記的な背景や作者のことを読み込むことなどは、戯曲の読み取りや劇構造の理解、そして先人の行き方や芸から学ぶといったことに対応している。もっと広く言うと経済学部の授業で学んだことなどが、劇団を経営することに関わっている上で「あ、これコーポレートガバナンスだ。」とか「マーケティングじゃん。」とか、つながることが多くておもしろい。絶対いろんなことをやるに越したことはない。今はそれが無駄なように見えても必ずどこかで役に立つ。こんな風にいろんなことを演劇とつなげて意識するようにし始めたのは、『ハムレット』を終えて演劇の道でいくと決めた2年の夏学期かな。自分が命をかけてやろうと思えることが見つかると、世界の見え方が変るんです。

自分の目標とは

岩崎さん

 最近友達と話していたんだけれど、東大に入ってくる人には大きく分けて3通りのタイプがいるんじゃないかな。一つは、言われたことを何にも考えずに言われた通りにできるタイプ、一つは、人に求められたものに反発するタイプ、そして最後は人に求められたものをなにかしら自分で理由付けしながらやっていくタイプ。自分はたぶん三番目のタイプ。あれこれをやれって言われ、なんでそれをするのか分からなかったら自分でなにかしらそれに理由をつけたがる。「なんのために勉強をするの?」タイプですね(笑)。

 どうしても考えてしまうんです。はたから見たらこじつけではあっても自分が納得いくまで考えるということ。今求められている結果は何で、結果を出すために、なにができて、なにができないかを判断したうえで、どこをどう使ってどこを伸ばしていくのか。表面的なところから深いところまで考えることで全体を見るということにつなげる。この思考をいつからするようになったかはわからないけれど、例えば受験の時もそうでしたね。受験勉強を機会に一生懸命幅広く勉強をすることもすごくいいと思う。だけど、受験の現実的な最終目標は合格すること。自分の場合は受験前の9月から東大への受験勉強がはじまったので、悠長なことは言っていられず、受験は結果に向けた短距離頭脳戦だった。たとえば英語は圧倒的に有利にできると思ったから、それ以外でどこの点数を伸ばせば合格点までいけるかと考えた。範囲が広くて具体的な世界史などを地道にやっていくよりも現代文、古文、漢文の方が短期間で確実に点数を伸ばせるなと思いそこを攻めました。こうやって「東大に入る」ということにも自分の中で論理的に考えて、今求められている結果を出すために必要なことを納得してやった。最終的に結果は一緒なんですよ。だけどとりあえず自分の中できちんと筋を通して結果を出すことにつながることを納得して頑張る。自分のやっていることが何のためなのか、理由付けが出来ないと頑張れない。でも、それで結果がでればいいわけだよね。

 実は演劇には、今話した目標とは全く違う魅力があるんですよ。それが今の僕にとってすごく面白い。最終的な目標は、到達点ではなく、その中身の質なんですよ。つまり、具体的な「今求められている結果」というものがない。例えば、今までの目標が「この積み木でこの高さの建物を作るにはどう積む?」だったら、演劇は、「この積み木で美しいお城を建てなさい」ということなんです。そうすると、深いところまでこだわっていかないと、「美しいお城」には見えず、ただの積み木に終わってしまう。目標は目の前よりももっと先に置いておくべき、というのかな。たとえば演劇で「笑う」という動作があるとして、笑うことは最終的な目標じゃない。もっと先の共感できる感情があったうえでその笑いが生きてくる。もっと分かりやすく例えれば、ロミオが毒を飲んで死んだのは毒を飲んで死のうとしたということではなくて、ジュリエットの死が悲しくて、愛しくて、死んだのかもしれない、ということです。舞台の上で起こっていることはすごく具体的な個別的な人間ドラマ(積み木)ですけど、それはもっと深い普遍的な人間ドラマ、誰もが共感する昔から繰り返されてきたドラマ(お城)に触れるための媒体なんです。時代によってテーマの表れ方は変わるかも知れない、けれどそこには生きようという人間のエネルギーがあり、それが人を感動させる。これが、舞台の魅力なんです。

 ちょっと飛躍するけれど、演劇は生きることと切り離せないと思うんだ。人にはそれぞれ満足する生き方というのがあり、一番最後に自分がよかったなと思えるならばそれはどういうものでもいい。たとえば、酸いや甘いを知った上で苦しんで苦しんで不幸だけど幸せだったと思えることもいいし、逆にずっと箱の中に住み、外の世界を知らなかったからこそ幸せだったということもありだと思う。みんなそれぞれ納得のいく生き方が最終的にはあると思う。僕は他の人の生き方を受け入れたいし、自分も自分の満足できる生き方をしたいと思う。そして、どんな生き方をしていても生きようとする人間には何か輝きがある。だから、そういう人の生き方を描く演劇が好きなのかな。

なれる自分となりたい自分

岩崎さん

 5歳から14歳の義務教育課程を全てカナダとアメリカで過ごした。海外にいたから逆に日本人であることを意識させられることが多くて、自分がどれだけ日本のことを知らないかということを常に思い、やっぱり日本人だなって実感した。でもそこですぐ日本の伝統には目が行かなかった。僕自身は反抗的な性格だからわりと前衛的なものが好き。昔からあるものを解体して再構築する、というのが大好きなんです。日本の文化はアメリカを真似していると言われたり、演劇で言うとロシアの影響を受けていたり、日本の前衛的なものは西洋的なものに対する反発であることが多いんだよね。それで反抗してたんだけど、でも反抗もきちんと勉強をしないとできないと気が付いた。いきなり抽象画を書いても大抵はただの落書きになるんですよ。そして日本人として俳優であるためには日本の芸能を学ぶべきだという思いにつながった。

 京都で狂言のことを調べ始めて、すごくおもしろくなった。実際に観に行くと、伝統芸能なのに現代の観客が会場をあげて腹を抱えて笑っていた。その衝撃はとてつもなく大きかったですね。また本で読んでピーダー・ブルックというイギリスの演出家がやっていた国際演劇研究センターというものを知った。それはいろんな国籍のいろんなバックグラウンドの俳優が十何人集まっている団体で、世界中をまわって環境・宗教・文化を越えて万人に演劇を理解してもらおうと活動をしている。そこに一人だけ日本人が能をバックグラウンドとして参加していて、国際的な交流の場で、日本の芸能の持つ力が特別な存在感を示していて、これだと思った。

 先人の積み上げてきたものから学びたいと思う。それは先人の積み上げてきたものがインスピレーションになるから。どこかの知の体系について論じられた文でありましたが、私たちは先人が積み上げてきた山に、小さな一石を投じながら山を大きくしていくんですよね。過去から学んで、その上で前に進むんです。自分の中でひょいっと思いつくことが、今までの何千年の歴史のなかで誰も思いついたことがないかというと、それは考えにくい……。そんなに積極的に自分の個性を面に出そうとしなくても、最終的には過去のものも自分の体を通して現代に出てくるの、だから、自分という個性は必ずそこに現れる。色々な答えは偉大な先人たちが示してくれている。それを盗まないと、先人を超える新しいものは生れてこないと思う。

 それから僕はいろいろ探した。そしてまたなにかの縁があり壤晴彦さんという素晴らしい人と出会うことができた。壤さんは狂言から芸能の世界に入り、フランス演劇時代の劇団四季を経て、井上ひさしさんの作品や東宝ミュージカル、イギリスのRSCにも出演し、最近は蜷川作品での活躍が多い実力派の俳優・演出家です。前にやっていたディズニーランドのバイトの友達から話を聞いた時でしたね。実は壤さんは河合祥一郎先生が訳した野村萬斎主演の『ハムレット』でポローニアスを演じていて、そこにも縁を感じたのですが、友達に一般参加できる壤さんのワークショップを案内してもらい、実際に行ってみたんです。そしたら自分がそれまで考えていたことが全てそこにあった。

 「俳優に必要なのは国語力だ。」壤さんは言うんです。演劇ってイメージや感覚が大事なことが多いから漠然と捉えてしまうこともあるんだけれど、イメージを言葉にできる能力が必要だ、と。壤さんは伝統芸能・文学・映画と芸事を本当に真摯に勉強してきていて、ちゃんと論理と感情を併せ持って自分を磨き続けているから緻密に演劇に関われる。そこに感銘を受け、この人に付いて勉強しようと決めた。今は狂言、日本舞踊、新内浄瑠璃、壤さんの演技、音楽をそれぞれ一線で活躍する講師の方々から学んでいます。僕はこれらをまっすぐ受け継ぐだけでなく、それらと無心で向き合った上で、いずれは新しいものを生み出すことにつなげていきたいと考えているんです。日本人として日本の背景を背負って、他の違う背景を背負った人たちと一緒になにか作っていけたら、というのが夢ですね。

 アイデンティティーのことで言うと、東大生であるという一面もあります。演劇をやっていると東大がマイナスの先入観を与えてしまうこともある。東大=硬いという印象を与えてしまうみたいで、だから「東大の人」って呼ばれないように東大生であることはできるだけ後で伝えるようにしている。結局は理解してもらえるけど、敢えて遠回りはしたくないからね。

 将来の目標としていることはもう一つあって、舞台芸能というものを日本の中でもっと浸透させたい。舞台をやっている側にも観る側にも問題はあるんだけれど、もっと情報開示することが必要なんだと思う。演劇を知っている人だけでなく、今は知らないという人にももっと色々な形の演劇を知ってもらい、劇場に足を運んでもらい、良い舞台を体験してもらいたい。たとえば今所属している演劇倶楽部『座』という劇団では、日本の文学作品をとりあげて「語り」と「俳優」で立体化する「詠み芝居」というスタイルの演劇をやっているのですが、想像力を膨らませる方向に立体化させるということがおもしろいんです。演劇を知らない人でもとても入りやすいものだと思います。こうしていろんな種類の演劇があるんだと知ってもらうこと。それも生涯かけてやっていきたいです。

 最後に、僕が大学生になる時になぜ東大をチョイスしたか。それは、東大というネームバリューのもとに集まってきた先生や学生に魅力があると思ったから。あと、やりたい分野のことについてまだモラトリアムも欲しかったので、2年間の教養課程というのも魅力的だった。実際に東大に入った感想は、大抵みんな感じると思うんだけれど、なにかしら期待を持って入ってきていたのに「あれっ」と思うときがあった。今振り返って一番良かったなと思うことは、それぞれ多様な分野を志す、尊敬できる仲間と先生たちに出会えたこと。経済を勉強するつもりでいたけれど河合祥一郎先生と出会えたり、駒場で高山博先生に出会えたのは教養学部の制度のおかげだと思っている。僕は学部も変えたから進学振り分けの制度も活用したし。その意味では存分に教養学部制度を活用できたんじゃないかな。

 東大生同士のつながりは社会にでてからも強いと思う。自分の考えを持って様々な活動をしている人たちは本当に魅力的。演劇に関わっていても、卒業生で演劇の評論家とか帝国劇場の元支配人の先輩の方と知り合ったりする機会があった。外から特別な目で見られることもある分、はたからはわからない共感できる部分が東大生同士にあると感じることがありますね。でも自分は内輪になるよりも常に外に開いていたいと思うんですけど。大学のみんながそれぞれこれからどういう方向に向かっていくのかがすごくおもしろいし、10年とか20年後どこにいるのかが楽しみ。分野を越えたつながりがあることは貴重ですよね。

 10年後に自分は、30歳を超えて、舞台で言うとまだまだ若手。どう転んでいるか分からないけれど、その頃には若手として認められていたい。これからの10年の若いうちに得られるものはきっとすごい力になるものだと思う。だから10年後に何ができるようになっているのか、楽しみです。


岩崎 雄大

文学部言語文化学科英語英米文学専修4年
米国出身。好きな言葉は「Carpe Diem」、「不可能はない」。
白黒・舞台写真提供:サムソン

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掲載日:06-07-09
担当:熊沢直美
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