自分を信頼するのは難しい

1.東大時代 | 2.講談社時代、ドラゴン桜3.コルクについて


2003年から2007年まで週刊漫画雑誌「モーニング」(講談社)で連載された『ドラゴン桜』は偏差値30の高校生が東大を目指すというストーリーで話題となり、ドラマ化・小説化されました。当時『ドラゴン桜』の担当編集者だった佐渡島庸平さん(文学部卒)は2012年に講談社から独立されて作家エージェント、株式会社コルクを設立しました。今回の「東大な人」では佐渡島さんの学生時代の話やお仕事の話、そして独自の東大生論を伺ってきました。


佐渡島庸平さん

東大を志望した動機を教えてください。

初めから僕は文学部に行きたいと思っていました。そして柴田元幸先生(※)の授業を受けたい、直に会っていろいろ教えを請いたいと思って東大を受験しました。当時、柴田先生は駒場の教養学部に所属していたんですけど、途中で本郷の文学部に移ったので、進振りの時は自然と英語英米文学専攻(英文科)を選択しました。

文学部に行きたかったということは、柴田先生の著作も含めて本が好きということだと思いますが、どういう本を読んできましたか。

小学校6年のときに、遠藤周作(※)の『沈黙』を読んですごく感動しました。それで中学時代、南アフリカにいたときには、遠藤周作の著作をいろいろ読みました。遠藤さんは『留学』という本の中で、戦後孤独にフランスに留学した時のことを書いているのですが、その時の遠藤さんと僕の南アフリカの生活は、遠藤さんは一人で僕は家族と一緒という違いはあったけれど近い感じがして、非常に感銘を受けました。そして、遠藤さんが灘出身だったというのもあって「じゃあ灘高に行くか」という感じで灘高に進学しました。高校の時に村上春樹(※)を読んで、その流れで柴田さんを知りました。それからレイモンド=カーヴァー(※)やティム=オブライエン(※)を読んでいました。

村上春樹もすごく好きで、繰り返し読んでいました。今から考えると意外とみんなはしてないで本を読むのだなと思うんですけど、僕にとって本を読むという行為は、著者と会話して、その人の人生観を知るという感じなんですよね。物語を楽しむ、だけではないんです。高校で村上春樹の本に出会ったとき、村上春樹に会って、直接話している夢をみるぐらい好きでしたね。

どのような大学生活を送っていましたか。

1年の時は大学があまりにもつまらなくて、早く卒業したいなと思っていました。1年の時にほとんど単位をとっていましたね。サークルは本格的にテニスをやりたかったのですが、体育会のテニス部は本郷にあるから「通うのがめんどくさいな、駒場でやってくれよー」と思って、テニスサークルに入ったのです。でも、そんなに本格的ではなかったかから、テニスサークルは通わなくなり、海洋調査探検部に入りました。そこでは日本のいろんな離島に行って、テントを張って野宿したり、ダイビングしたりするということをしていました。おもしろかったですね。

2年の間もそういう感じで大学がつまらなくて、ほとんど家庭教師とレストランの調理のバイトをしていました。3年になって英文科に入って専門の授業を受けるようになったんですけど、授業がすごく面白くて。急に大学へ行くのが楽しくなって、4年のときは、とっくに単位は取っていたけど、関係のない授業をとっていました。

卒業論文はどのようなテーマでしたか。

卒論は、ティム=オブライエンというすごく好きな作家について書きました。ティム=オブライエンの全著作物を扱いながら『失踪 In the Lake of the Woods』を中心にティム=オブライエンにとって記憶の意味とはどういうものか、記憶とフィクションの意味、みたいなことをテーマにした論文を書きました。

柴田先生に指導してもらったんですね。

そうですね。柴田さんは、卒論生は自由に卒論を書きなさいという人だったからあまり指導はなかったけど。当時英文科にはヒューズ(※)という先生がいました。ヒューズは僕が人生で初めて会った「この人みたいに自分がなりたいんだよな」と思うことができた、理想の人物なんですよね。当時ヒューズは55歳くらいだったけど、僕が55歳くらいになったらこういう感じの大人になりたいなって思っていました。それでヒューズに会うのが楽しくて学校に行っていたというところはありました。

ヒューズ先生は、具体的にどのような点が魅力的だったのですか。

佐渡島庸平さん

まずは、知識があるんですよね。でも、知識のあり方がバランスがとれていて、そこが魅力的でした。高尚な話をすごく面白そうに話したかと思えば、下世話なネタを、同じようなテンションで話していたり。会話がすごくうまくて、生徒への配慮もあって、優しさと厳しさのバランスもよかったです。生きるスタンス、つまり、なにをよしとしてなにをだめとするかという価値観のあり方が自分の中にしっかりある人で、世間に惑わされていない感じがして、それが共感できると思いました。

就職活動の時の話を聞かせてください。佐渡島さんは就職活動のとき、企業研究をせず、しかも出版社一本だったという話を聞いたことがありますが。

それは大学院に行きたかったからです。父親から、学費を出す条件は、就職活動を経験することだと言われていたので、就職試験は落ちていいやと思って、最低限だけしました。だから、入社してもいいと思えるところ以外は受けないと思って出版社しか受けなかったし、全部落ちてもいいと思って企業研究のようなことはしなかったんです。

それでも講談社という大企業の内定をもらえたのはなぜだと思いますか。

僕が世間の価値観ではなく、自分の価値観で意見を言ったからだと思います。
 基本的に学生には、まだ自分の価値観がないんですよ。東大生は、東大にいることを自分が賢いということの証明だと思っているんだけれども、僕からしてみると東大に行ったっていうことは、物事を自分で決められないっていうことの証明なんですよ。なぜ東大に入学したかというと世間で一番だからですよね。東大研究をしてから東大に入学した人はいますか? 東大の授業全部調べて、ほかの大学よりも東大の方がいいと思って東大に入学した人はいますか? そうではなくて、みんな東大が何となくいいだろうというので入ったのでしょう。つまり東大にいることで「自分は自分の価値観ではなくて世間の価値観で動く人間だ」ということを証明しているわけですよ。

実は早稲田でも慶應でもほとんどの大学生がそうで、世間と親の価値観を中心に決断しているんです。就職活動のときも企業のことを調べるのではなくて、世間の価値観で「講談社は有名だから」とか「マスコミ楽しそうだから」と思うわけですよね。自分にとってどうか、ではないところで選んでいるわけですよ。だから個人が世間の価値観に左右されて判断している限り、企業もその人に対して世間の価値観で対応してきますよね。

東大でなにを学んできたかとか偏差値に現れるようなものとかで判断されてしまうなら、普通に面接する意味がないじゃないですか。そうではなくて自分にとってなにが重要かということを企業に対してしっかりアピールする事の方が重要です。でも、それができている学生は、たぶんほとんどいなくて。さっき言ったように僕は柴田さんがいるから東大に行くことを決めました。それはどちらかというと、非常に生きづらい価値観なんです。自分にはこれしかない、みたいなものが一本ずっとあって、それ以外のものは自分の人生から排除しながら生きてきているから。そういう生き方がより評価されるんだろうと思いますけどね。

そういうところを企業にきちんとアピールするのがよいということですか。

アピールというか、話をしていたらそういうものは伝わるものです。あと、当時はそんなにそこまで割り切れなかったけど、結局学生側も面接しながら企業を判定するわけです。「この程度の質問しかできない人が面接官に選ばれちゃうような会社なんだ」とか。お互い様ですからね。そのお互い様という気持ちを持てるかどうか。僕も企業から否定されるような気持ちになったことはあるけれど、こっちも企業を判定しているのだと気づけばそんな傷つくこともない。相性の問題ですからね。

最終的に大学院進学ではなく講談社に入社することを選択したのはなぜですか。

それは大学院試験合格と講談社内定の両方が決まった時に、大学の先生たちに「講談社通ったけど院にも行きたくて」という話をしていたら「文系の院なんて来ても全く未来がないから、講談社に通ったなら講談社に行った方がいいよ」と強く言われました。それで僕も悩んだんだけど、出版社に行って作家に会ってみるのも面白いしなあと思って講談社に入ることを決めました。


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掲載日:13-10-08
担当:久保京子
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