人生180度変わったなって思いました

1.東大生時代 | 2.小説を書くきっかけ | 3.受賞して


辻堂ゆめさんは東京大学在学中に第13回『このミステリーがすごい!』大賞(宝島社主催)で優秀賞を受賞し、小説家デビューされました。どのような大学生活を過ごされていたかや、受賞された後のことについてお話を伺いました。


東大生時代

―東京大学を目指した理由は何ですか。

端的に言えば学校の先生に勧められたからです。私は中学1年生から高校1年生までアメリカに住んでいたので、高校2年生で日本の高校に入った時は、自分がどれぐらいの偏差値を取れて、どれぐらい勉強を出来るのかが全く分からない状態でした。進学校に入ってしまったこともあり、平均くらいは取らないといけないと思って、編入当初は頑張りました。それで先生に「この成績だったら東大にも行けるから目指そうよ」と言われ、目指すようになりましたね。その時は、国家公務員に興味があったので、東京大学の法学部に行きたいと考えていました。結果は全然違いますが。

―国家公務員志望から民間企業志望に変えたのはどうしてですか。

東大に入ってから1年ぐらいは国家公務員になる気でいました。ですが、2年生の初めに実際に勉強しようと思い、ダブルスクールを始めてみたら、「私は法律の勉強があんまり得意じゃないんじゃないか」と思い始めました。また東大には、好きな学問がある人や、法律が好きな人など、勉強して知識を蓄えるのが好きな人が多く、カルチャーショックを受けました。「勉強を義務だと考えているようでは、そういう人たちと一緒に国家公務員になっても辛いだけだろう」と挫折感を覚えました。

その後2年生の夏に、奨学金をもらっていた民間企業のセミナーがあり、10人ずつの班でプレゼンテーションを1日で考え次の日に発表するという課題が出されました。そこでやったのが、まずブレインストーミングをして、ホワイトボードを使いながら意見を出し、スライドにまとめて発表するという、民間企業のやり方でした。なんて合理的なやり方なんだろうと思い、資料を読んで法案を作る仕事よりこういう方が向いてるんじゃないか、と気づいてしまいました。そういった経緯があり、民間企業志望に変えました。

―東京大学ではどのようなサークルで活動していましたか。

「合唱団あらぐさ」という合唱団で活動していました。ただの合唱団ではなくて、合唱とバンドとミュージカルを3つ全部やるというちょっと特殊な音楽サークルでした。私は合唱でソプラノをやり、バンドでギターとボーカルをやり、ミュージカルでは1年生の時だけ役者をやりました。ほとんどをサークルに捧げた4年間でした。

―どうしてそのサークルに入ったのですか。

中学生の頃に歌手のYUIにはまって、アコースティックギターを買ってもらいました。それ以来弾き語りを趣味にしていたので、大学になったらバンドをやりたいと思っていました。また、日本で通っていた高校には合唱コンクールがあったのですが、数ある行事の中で一番好きなイベントだったので、大学に入ったらちゃんと合唱をやりたいと考えていました。それを両方やっているサークルがあったので入りました。

小説を書くきっかけ

―海外と日本の高校の違いにはどのようなものがありましたか。

アメリカの高校はそもそも義務教育なので学区があって、日本の小学校や中学校のような形で高校も決められたところに行っていました。公立高校なので色んなレベルの子がいますが、中学までと違いクラスごとにレベル分けがされて、中学の成績で高校1年生の時のクラスが決まっていました。数学や理科で全部上のクラスに入ってしまうと宿題の数がとにかく多く、どの授業でも必ず宿題が出ました。家に帰って宿題をやるのが毎日大変で、学校が嫌いだった覚えがあります。

日本とアメリカの高校で一番違うのは、アメリカの高校には体育祭や文化祭といった学校行事が一切無いことだと思います。日本では神奈川の湘南高校に入ったのですが、そこは体育祭に向けて1年間かけて準備をするのが当たり前の学校でした。行事が全くなくて勉強しかしていない状態から編入したので、ギャップがとても大きかったです。普段の宿題がないどころか夏休みの宿題さえ出ないし、大きな行事が1年間に6つぐらいある上に昼休みにも頻繁にイベントを開催していて、全然違うんだなと思った覚えがあります。


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掲載日:16-11-20
担当:坂井桂祐
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