編集後記

そして

3月も間もなく終わりを迎えようとしています。
3月の終わりというのは年度の終わり。4月からは生活が一変するという方も多くいらっしゃると思います。

殊更、大学生にとってはこの区切り目は非常に大きな変化を意味します。
それはもちろん、本学学生が後期課程に進学して……とか、4年生になっていよいよ研究室に……といったことでもありますが、私が今感じているのはそういうことではありません。
休みです。大学生、特に3年生までの学部学生は一般に春休みが長く、だらだらして過ごす人も多いでしょう。自分の周りの3年生たちを見ても、学部を卒業したら就職しようと思っている人は就職活動で忙しそうにしているものの、自分含めて大学院に進学しようとしている人は4月から始まる研究室生活に恐怖しつつ、最後の追い込みとばかりに春休みをだらだらと過ごしています。

恐怖。そう、恐怖。4月怖い。一生ダラダラ過ごしていたい。朝早く起きるのが辛い。授業に出て105分間座っている苦痛。帰宅するのは何時。次の日朝起きるためには何時に寝ればいいのか。自由時間は何時間。考えることの恐怖。時間が過ぎ去っていくことの恐怖。恐怖。恐怖。恐怖。

恐怖に対する無力感。3月はあと何日あるか。その間に何が出来るか。そんなことを考えている間にも、春休みは刻一刻とすり減っていく。そして、気がつけば4月。ほうら、何もせずに春休みが終わったぞ。さあ4月だ。

そして。4月。

4月からは、UT-Lifeもまた変化を迎えることになるでしょう。
まず、UT-Lifeの学生は3年生までで引退ということになっているので、4月からは体制が変わります。
実は私が今年度の代表を務めていたのですが、4月からは新しい代表になります。ご期待ください。

思えば1年生からUT-Lifeに関わってきて、3年間あっという間でした。率直に、楽しかったです。大学に入るまでは文章を書くということにあまり興味があったわけでもなかったのですが、今では楽しい作業だと感じています。
貴重な体験を与えてくれたUT-Lifeには感謝してもしきれません。ありがとうございました。

パーマリンク | 03月29日 19:14 by
鈴木僚太

北京旅行

学事暦変更により長くなった春期休暇ももうすぐ終わり、同時に僕の3年生としての生活も終わる、そのような時期になりました。

さて、実は僕は3月17日〜3月19日まで、法学部の比較政治ゼミの旅行で北京に行っていました。僕にとっては久しぶりの海外旅行で、当初は参加を躊躇していましたが、ゼミ生や教授の協力もあって貴重な体験をさせていただきました。

1日目は頤和園を観光しました。頤和園は清時代の庭園であり、内部には当時の伝統的な様式の建造物が多くあり、人工湖とも相まって幻想的で風格のある光景を味わうことができました。
頤和園

2日目は日本大使館と北京大学を訪れました。大使館では普段は会う機会のほとんど無い在中公使の方のお話を伺い、外交実務と政治学との関係について思いを馳せたり、外交政策の現状を知ったりできました。

北京大学では国際関係学を専攻なさっている院生や学部生の方々と、日中関係のあり方について英語でディスカッションをしました。僕は英語でほとんど発言ができず、外国語でその場の状況に合わせて発言することや、専門用語を外国語でやり取りすることの難しさを実感しました。もちろん大学の授業でも外国語のアウトプットは勉強していたつもりなのですが、この2点は実際に海外の人々と交流しないと体験しづらいと思いました。今後はこれらを意識して外国語を勉強し続けたいと気持ちを新たにしました。
ディスカッション後は北京大学を観光しました。池が有名な観光名所となっているのは東大本郷キャンパスの三四郎池と共通していますが、林ではなく草地となっていて、より解放感がありました。新しい建築物も古いデザインが取り入れられていて、ここからも東大の学部棟とはまた違った魅力を感じました。
夜には大学の食堂で清華大学の学生も含めて一緒に北京ダックなどを頂きました。食堂といっても宴会などのための高級なもので、東大で言えば生協食堂のパーティープランや、キャンパス周辺の飲食店に相当するのだと思われます。僕は中国語選択にも拘わらず中国語を話せないのであまりコミュニケーションを図ることはできませんでしたが、北京大学と清華大学との関係などについて少し会話しました。ここでも外国語の重要性を一層感じました。

3日目には清華大学の2日目とは別の学生と天安門広場を観光しました。中華人民共和国の政治の中心を見て、政治のあり方は都市の光景にも反映されるのでは、なんてことを想像しました。この日に合った学生たちとはSNSでもつながったので、また交流できたら良いな、とも感じました。

この旅行を通して、異文化交流の面白さと、そのための勉強の重要性を、身をもって知ることができました。

冒頭で自分の3年生の終わりに言及しましたが、それはUT-Lifeの編集長としての任期の終わりでもあります。ふがいない編集長でしたが、この団体を今までより俯瞰的に考えることぐらいはできたのではないかな、という自負はあります。しかし、この旅行を通して考えたように、世界は自分が想像する以上に広いのだと思います。このようなことを意識しつつ、残りの学生生活も努力し続けたいです。

パーマリンク | 03月20日 22:58 by
伊藤重賢

3.11と「恐怖」

2011年3月11日の午後、私は福岡市内の中学校で卒業式を終え、同級生とボウリングをして楽しんでいました。「晩御飯は要りません」と伝えようと思い母に電話したところ、「地震で大変なことになっているらしいよ!」と何やら慌ただしい様子。私はピンときませんでした。

その日の夜、私たちのクラスは近所の中華料理店に移動しました。その店のテレビで映し出されている映像から、私はようやく事態の深刻さが分かったのです。

2016年3月11日。私は5年前と同じように、娯楽施設にいました。といっても、ボウリング場ではなく、大分県別府市にある城島高原パークです。高校時代の山岳部の同期と湯布院に泊まった帰りに立ち寄ったのでした。

城島高原パークは絶叫系アトラクションが集積した遊園地です。私の絶叫系の経験は、小学校に上がるか上がらないかの年にそれほど大したことがないジェットコースターに乗ったことぐらいなのですが、「まあ今の自分だったら乗り切れるだろう」と思い、友人たちとともに数々のアトラクションを試してみることにしました。

まずは水面に飛び込むタイプのジェットコースター「ポセイドン30」に挑戦。これは急降下するポイントが1箇所だけなので、何とか乗り切れました。次に乗ったのは、日本初の木製コースター「ジュピター」です。これが結構つらいもので、まず3分間という長い乗車時間の間に数箇所もの急降下ポイントがあり、さらに木製特有とされる激しい横揺れも、なかなかこたえるものでした。

さすがにもう受容能力の限界だと感じ、その後のアトラクションは適宜パスしました。しかし、友人が再び「ジュピター」に乗ると言い出したときは呆れました。友人は2度目でも飽き足らず、結局3回も乗ったのです。私は下から見守るだけでした。

その夜、寝床に就いた私の脳裏には、あの急降下の記憶が数度も蘇ってきました。その度にまるで自分がジュピターに乗っているような感覚になり、寒気がしました。

思えば、5年前のあの日に地震や津波を体験した方々も、相当な恐怖を感じたはずです。ただ、どんなに怖いアトラクションでも当然のように無事に乗り切ることができるけれども、地震は実際に何らかの被害を及ぼすし、命を奪うことさえある。そして彼らは余震の恐怖にも耐えなければならない。「2度目はパス」というわけにはいかないのです。

恐怖を伴う経験の重み。このことは、メディアで震災を扱う際も重大な問題となっているのかもしれません。テレビで流れる津波の映像を不快に思う人もいるでしょう。震災から5年も経ったというのに、復興の計画や防災対策といった建設的な内容よりも、あの日の出来事を掘り返してばかりいる、とマスコミに不満を漏らすSNSの投稿もしばしば見かけます。

しかし、実際に経験したからこそ、その経験を伝えたいという気持ちが強い人も少なくないと思います。被災した人もしていない人も、メディアを通じて知りたいことは人によって様々です。できるだけその多くに応えなければならないのですから、マスコミは大変です。

…というのはあくまで私の憶測にすぎません。やはり被災した方々の話を直接聞かないと、その経験の重みは分からないのでしょうか。しかし話を聞きに行くという行為が果たして意味を持つことなのかと問われると自信がない。いずれにしてもいつか東北に足を運んでみたいと思います。

パーマリンク | 03月13日 21:07 by
野上宏樹


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