編集後記

北京旅行

学事暦変更により長くなった春期休暇ももうすぐ終わり、同時に僕の3年生としての生活も終わる、そのような時期になりました。

さて、実は僕は3月17日〜3月19日まで、法学部の比較政治ゼミの旅行で北京に行っていました。僕にとっては久しぶりの海外旅行で、当初は参加を躊躇していましたが、ゼミ生や教授の協力もあって貴重な体験をさせていただきました。

1日目は頤和園を観光しました。頤和園は清時代の庭園であり、内部には当時の伝統的な様式の建造物が多くあり、人工湖とも相まって幻想的で風格のある光景を味わうことができました。
頤和園

2日目は日本大使館と北京大学を訪れました。大使館では普段は会う機会のほとんど無い在中公使の方のお話を伺い、外交実務と政治学との関係について思いを馳せたり、外交政策の現状を知ったりできました。

北京大学では国際関係学を専攻なさっている院生や学部生の方々と、日中関係のあり方について英語でディスカッションをしました。僕は英語でほとんど発言ができず、外国語でその場の状況に合わせて発言することや、専門用語を外国語でやり取りすることの難しさを実感しました。もちろん大学の授業でも外国語のアウトプットは勉強していたつもりなのですが、この2点は実際に海外の人々と交流しないと体験しづらいと思いました。今後はこれらを意識して外国語を勉強し続けたいと気持ちを新たにしました。
ディスカッション後は北京大学を観光しました。池が有名な観光名所となっているのは東大本郷キャンパスの三四郎池と共通していますが、林ではなく草地となっていて、より解放感がありました。新しい建築物も古いデザインが取り入れられていて、ここからも東大の学部棟とはまた違った魅力を感じました。
夜には大学の食堂で清華大学の学生も含めて一緒に北京ダックなどを頂きました。食堂といっても宴会などのための高級なもので、東大で言えば生協食堂のパーティープランや、キャンパス周辺の飲食店に相当するのだと思われます。僕は中国語選択にも拘わらず中国語を話せないのであまりコミュニケーションを図ることはできませんでしたが、北京大学と清華大学との関係などについて少し会話しました。ここでも外国語の重要性を一層感じました。

3日目には清華大学の2日目とは別の学生と天安門広場を観光しました。中華人民共和国の政治の中心を見て、政治のあり方は都市の光景にも反映されるのでは、なんてことを想像しました。この日に合った学生たちとはSNSでもつながったので、また交流できたら良いな、とも感じました。

この旅行を通して、異文化交流の面白さと、そのための勉強の重要性を、身をもって知ることができました。

冒頭で自分の3年生の終わりに言及しましたが、それはUT-Lifeの編集長としての任期の終わりでもあります。ふがいない編集長でしたが、この団体を今までより俯瞰的に考えることぐらいはできたのではないかな、という自負はあります。しかし、この旅行を通して考えたように、世界は自分が想像する以上に広いのだと思います。このようなことを意識しつつ、残りの学生生活も努力し続けたいです。

パーマリンク | 03月20日 22:58 by
伊藤重賢

3.11と「恐怖」

2011年3月11日の午後、私は福岡市内の中学校で卒業式を終え、同級生とボウリングをして楽しんでいました。「晩御飯は要りません」と伝えようと思い母に電話したところ、「地震で大変なことになっているらしいよ!」と何やら慌ただしい様子。私はピンときませんでした。

その日の夜、私たちのクラスは近所の中華料理店に移動しました。その店のテレビで映し出されている映像から、私はようやく事態の深刻さが分かったのです。

2016年3月11日。私は5年前と同じように、娯楽施設にいました。といっても、ボウリング場ではなく、大分県別府市にある城島高原パークです。高校時代の山岳部の同期と湯布院に泊まった帰りに立ち寄ったのでした。

城島高原パークは絶叫系アトラクションが集積した遊園地です。私の絶叫系の経験は、小学校に上がるか上がらないかの年にそれほど大したことがないジェットコースターに乗ったことぐらいなのですが、「まあ今の自分だったら乗り切れるだろう」と思い、友人たちとともに数々のアトラクションを試してみることにしました。

まずは水面に飛び込むタイプのジェットコースター「ポセイドン30」に挑戦。これは急降下するポイントが1箇所だけなので、何とか乗り切れました。次に乗ったのは、日本初の木製コースター「ジュピター」です。これが結構つらいもので、まず3分間という長い乗車時間の間に数箇所もの急降下ポイントがあり、さらに木製特有とされる激しい横揺れも、なかなかこたえるものでした。

さすがにもう受容能力の限界だと感じ、その後のアトラクションは適宜パスしました。しかし、友人が再び「ジュピター」に乗ると言い出したときは呆れました。友人は2度目でも飽き足らず、結局3回も乗ったのです。私は下から見守るだけでした。

その夜、寝床に就いた私の脳裏には、あの急降下の記憶が数度も蘇ってきました。その度にまるで自分がジュピターに乗っているような感覚になり、寒気がしました。

思えば、5年前のあの日に地震や津波を体験した方々も、相当な恐怖を感じたはずです。ただ、どんなに怖いアトラクションでも当然のように無事に乗り切ることができるけれども、地震は実際に何らかの被害を及ぼすし、命を奪うことさえある。そして彼らは余震の恐怖にも耐えなければならない。「2度目はパス」というわけにはいかないのです。

恐怖を伴う経験の重み。このことは、メディアで震災を扱う際も重大な問題となっているのかもしれません。テレビで流れる津波の映像を不快に思う人もいるでしょう。震災から5年も経ったというのに、復興の計画や防災対策といった建設的な内容よりも、あの日の出来事を掘り返してばかりいる、とマスコミに不満を漏らすSNSの投稿もしばしば見かけます。

しかし、実際に経験したからこそ、その経験を伝えたいという気持ちが強い人も少なくないと思います。被災した人もしていない人も、メディアを通じて知りたいことは人によって様々です。できるだけその多くに応えなければならないのですから、マスコミは大変です。

…というのはあくまで私の憶測にすぎません。やはり被災した方々の話を直接聞かないと、その経験の重みは分からないのでしょうか。しかし話を聞きに行くという行為が果たして意味を持つことなのかと問われると自信がない。いずれにしてもいつか東北に足を運んでみたいと思います。

パーマリンク | 03月13日 21:07 by
野上宏樹

免許合宿で得たものと「必然的な時間」

 長い長い春休みの一部を利用して、大学の友人と運転免許合宿に行ってまいりました。連日のスケジュールを予定通りこなして合宿を終え、帰京後運転免許試験場にて、普通免許を交付されるに至りました。品川にある鮫洲運転免許試験場の対応は素晴らしく、(一度試験に落ちたとはいえ)手続きはかなりスピーディーに進み、免許の現物を手にしたときの感慨が薄れてしまうほどでした。このように、免許が取れたこと自体に関してはそれほどドラマはありません。しかしながら私は、二週間の合宿でそれまで気づかなかった大事なことに気付けたような気がしています。

 おそらくどの教習所でも同じだと思われますが、私がお世話になった自動車学校では入校日に運転適性を調べる心理テストを受験させられました。そこで指摘された自分の性格上の特徴(欠点)をよくわきまえて、運転の際に意識しろ、ということです。一緒に受けた友人の診断結果には驚きを禁じ得ませんでしたが(良い意味か悪い意味かはご想像にお任せします)、かくいう私はどうであったか。運転にそこまで向いていないというわけではありませんでしたが、動作の大雑把さ、多方面への注意の欠落、の二つを指摘されてしまいました。

 正直自分はもう少し繊細で気の配れる人間のつもりでした。こんなもんあくまでテストや、全人類に当てはまるはずがない。そうやって最初のうちは認めたくない気持ちもありました。しかしいざハンドルを握ってみるとあら不思議。意識していても、指摘された二つの欠点に関連したミスを連発するではありませんか。く、くそう。心理テストさん、あんたはどんだけよく出来とるんや。もうあまり意地を張っていても仕方ありません。車は一歩間違えれば「走る凶器」になりかねないのですから。合宿が始まって数日、私は無駄な抵抗をやめ、二つの欠点の観点から自分を見つめなおすことにしました。

 とはいえ欠点を認め、冷静に運転に臨んでもやはりミスは犯します。そもそも性格上の欠点をその場で直すことなど不可能なのです。別に私と同じ欠点を持った人全員が事故多発ドライバーというわけでもありません。私は今できる範囲での意識改革に努め、リラックスして教習に臨もうと決めました。そうすることで教習自体は無事終えることができました。

 さて、帰京してから私はふと、例の心理テスト結果診断表を見返してみました。免許合宿を経てあの欠点は治癒したか。そんなことはなく、相変わらずミスをやらかしつづけています。いい加減な旅行計画をもっと綿密なものにしていれば、あそこであんな余計なお金を使わずに済んだのに。そういう自分にイライラしっぱなしです。けれども免許合宿以前には、その欠点を認めすらしない自分がいました。自動車の運転という、人の命を危険にさらす行為と向き合うことを通じて、自分の欠点を受容できたのは非常に大きいと感じています。

 話は逸れますが、私はこのところ、必然的な時間を多く過ごしたいと考えています。なにをゆうとるんやお前は、そう思われるでしょうが、これはサルトルの小説「嘔吐」から感じたことです。小説を全て読んだわけではなく、NHK教育でやっていた、サルトルの実存主義を100分で解説する番組を視聴したにすぎないのですが、そこでは「嘔吐」で述べられる「偶然的な時間」と「必然的な時間」の二つの時間が取り上げられていました。「嘔吐」では、主人公ロカンタンが、「すべてのものが何の理由もなくただそこに実存していること」に気付き、吐き気を催します。人間は食って眠ってだらだら生き延びるだけの、不条理な偶然性の世界に生きているのだといいます。それは消極的な自由とも呼べるそうですが。しかしロカンタンは終盤で、行きつけのカフェで流れていた音楽に感銘を受け、吐き気はおさまり幸福感を覚えます。なぜなら、音楽という純粋で明晰な秩序(必然性の世界)の中に入ることで、偶然的な実存の世界から脱却することができたからです。ロカンタンは自分も何かそういうことができないかと考え、音楽をつくるのは無理だけれど、一冊の小説なら書けるのではないかと考えます。

 大学に入って10カ月、私は新しい多くの友人に恵まれたという意味では充実した学生生活を送りながらも、気持ちの上ではどこか物足りず、いろいろと迷走しまくってきました。この迷走の解決策となるのがまさに「必然的な時間」ではないかと考えています。芸術を創造、あるいはそれにどっぷりと浸かって始まりと終わりがある時間を体験することで、漫然と生きる偶然の世界から脱却し、自己の実存の正当化が可能になる、言い換えれば生きているという実感が得られるのだと思います。

 そのうえで必要なのが、免許合宿で指摘された欠点を少しずつでも改めていくことなのだと解釈しています。芸術を創造するうえでいい加減さが許されるはずがありません。幅広く注意を払えないことはまた、本来の魅力を見逃すことにもつながるでしょう。

 長ったらしく、あまつさえ抽象的になってしまいましたが、具体的には文章を書くことはもちろん、何か音楽系統のことにも挑戦してみたいです。「必然的な時間」を少しでも増やすことを軸に、2016年を過ごしていきたいと思います。

 

パーマリンク | 02月11日 13:13 by
杉田裕和


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