模擬裁判

舞台中央に置かれた証言台、上手側の弁護人席、下手側の検察官席。 東京大学法律相談所による第58回模擬裁判は、まるで本物の法廷のような空間を安田講堂に作り出した。

開廷まで、あと十分である。既に書記官らは正面の机に着席している。 客席には老若男女多くの人が詰め掛け、一階席は満席に近い状況だ。


模擬裁判では、毎年さまざまな事件を題材にして法廷の様子を上演する。 今年のテーマは、「痴漢事件」。 ある女子大生が通学中の電車内で痴漢に遭い、犯人と思しき男を捕まえて駅員の元に連れて行く。 しかし、男は駅事務室でも警察でも容疑を否認し続ける。 結局、男は起訴され、真実は法廷で追究されることになったというわけだ。

開廷前、代表の古林さんはこう語った。
「裁判と社会のズレを無くしたい」
それゆえ、痴漢事件という誰にでも降りかかりうる事件を扱ったのだという。


開廷

舞台上では、検察官と弁護人が入廷し、手錠をかけられた被告人が連行されてきた。 そして最後に裁判官が入廷し、開廷が告げられた。

実際の裁判と同様、まずは冒頭手続が行われた。 裁判官が被告人の本人確認をし、続いて検察側が起訴状を朗読するものだ。 時折我々にとって馴染みのない単語や表現も出てきたが、正面の巨大スクリーンに表示された解説スライドのおかげで無理なく状況を理解することができた。

その後、法廷では事実関係を見極めるため、証人尋問が行われた。 証人は、痴漢被害者の女子大生、被害者が被告人を捕まえるところを目撃した駅員、同じ電車に乗り合わせていた被告人の同僚の三人である。 それぞれに対し、検察側・弁護側が尋問していった。


三人の証人

痴漢事件においては、殺人事件における凶器のような物的証拠が挙がることはほとんどない。 従って、裁判官は被告人が本当に犯行を行ったかどうかを証人の供述証拠を頼りに判断するしかない。 しかし、人間の記憶とはそれほど信用に足るものなのか。

三人の証人尋問でも、その供述には矛盾が見られた。 例えば、犯行当時の周囲の状況である。 被害者自身は、周囲にいた男性は被告人一人であったという。 それに対し被告人の同僚は、周りには被告人以外にも多くの男性通勤客がいたと証言した。 どちらが真実なのか。そして、なぜ食い違うのか。

被害者は当時、被告人への怒りで逆上していたし、被告人の同僚は現場と少し離れた位置に座っていた。 どちらの供述も信憑性は十分ではない。 裁判官は、このような曖昧な状況から判断を求められたのである。


結局、被告人は無罪放免となった。

理由は「証拠不十分」である。 確かに被告は犯行を行える状況にあった。しかし、当時車内には犯行可能な男性が他にもおり、被告が犯人であると断定することはできない。 検察側の主張した他の状況証拠も、被告人の犯行を十分に裏付けるものではない、とのことであった。


法廷で証言を聞き、真偽を判断し、人を裁く。 その一部始終を初めて目の当たりにして、私は良質の講義を聴いた後のような新鮮な心持ちになった。 裁判と私自身のズレが、多少なりとも解消されたということなのかもしれない。

証言する被告人
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掲載日:06-06-01
担当:伊藤俊夫
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