身体運動・健康科学実習

平成18年度より、従来のスポーツ・身体運動から名前を改めてのスタートとなった身体運動・健康科学実習。今回は、その授業を担当されている大築立志教授と村越隆之准教授にお話を伺った。


身体運動・健康科学実習とは

大築先生・村越先生

端的に言えば、東京大学の1年生を対象に運動の実技をやってもらう科目です。実技といわれる中には様々な競技種目のほか、「サイエンス」といった身体活動の評価を主体とした実技や、リハビリテーションを主体とした「メディカルケア」といったコースも存在します。また、これらの種目ごとの実習とは別に、全員が共通して受講する共通実習が年5回盛り込まれています。

実習を通して、身体活動の背景にあるサッカーなどのメカニズムや生涯にわたって健康を維持するための1つの考え方や方法を基礎付けることを目標としています。

ですから、この科目の主な目的は2つあります。1つは体に関する知識を習得してもらうこと、もう1つは実技実習を通じて実際の体のメカニズムを実体験として知ってもらい、自分の動作の改善や運動機能の維持を図ってもらうことです。

身体運動・健康科学実習という科目ができるまで

大築先生・村越先生

今でこそ講義あり・実技あり・実習ありの科目として成り立っていますが、ここまで来るのにはいろいろな流れがありました。平成5年に文部省(現在の文部科学省)主導で体育競技の授業編成が行なわれました。以前は体育講義という講義形式のものも必修だったのですが、それが選択科目となり、必修は体育実習だけになりました。本来は講義で体のメカニズムを知ってもらってから思いっきり体を動かしてほしかったのですが、何も知らないまま体を動かすだけになってしまったのです。どの種目にも共通する体の動きのように、体を動かす上で知ってもらいたいことがいくつかあるのです。これは体に興味がある人だけでなく、興味がない人を含めて学生全員に知ってもらいたいことなのです。むしろ、そういったことに興味を持たない人のほうが、年を重ねるごとに健康上の問題を抱えることが多いので、是非とも実習だけでなく体育の講義も履修してほしいという切なる願いがありました。

だから、体に無理やりにでも向き合ってもらおうと思って、身体運動の教科書を作りました。この教科書はページ数が多く、講義中にすべて読みこなすことはできません。しかし私たち教員の狙いは、学生さんにすべて読んでもらうことではありませんでした。どちらかというと「身体感覚としてこの教科書を持った」と記憶に残してくれることが大事なのです。例えば教科書のあるページを参考にしないと書けないレポートを出して、実際にページをめくるという身体運動を通じて、知識を拾ってもらうという身体感覚を覚えてもらいたかったのです。現在使ってもらっている教科書は、平成12年度から導入されたものです。共通実習などで使われるページは新しく加えられたもので、補遺という形で冊子になっています。ただ、ある程度大学生向けに専門的に書いてある部分もあり、特に文系の人たちからは「難しい」という意見が出ていることも事実です。しかしながら、誰にでもわかりやすい内容にすると市販されているハウツー本と大差ない内容に成り下がってしまうので、あえて東大生に相応しいような知識をふんだんに盛り込んだレベルの高い内容にしています。知は運動を求め、運動は知を求めるといった相互関係を理解できるような教科書であればいいと思っています。

身体運動・健康科学実習ができたのは実は平成18年度からです。平成17年度までは、スポーツ・身体運動という科目が運動をする必修科目でした。身体運動・健康科学実習がスポーツ・身体運動と異なる点は、共通実習があることに尽きます。

選択できる種目

選択できる種目は曜限によって異なりますが、球技をはじめとした競技種目やフィットネス、サイエンスやメディカルケアなどの種目を選択できます。大体7つくらいの種目から選べるようにしています。

ずっと昔、僕らが学生だったころは、曜限ごとに種目が決まっていました。だから学生が選択する余地がありませんでした。否応なくサッカーをやらされたりしましたよ。複数の種目から自分のやりたいものを選択できるようにしたのが平成5年のことでした。選択できる種目数を7前後にしたのは、1コマで300人強の学生の面倒を見なくてはならないので、そのためには1種目40〜50人として7〜8種目必要だということになったからです。1種目50人という目安は文部省が定めた1人の教員が持つ学生の人数の指針でもありましたし、これ以上の人数になると、まとまって教えられる大きな施設がないという裏事情もありました。

現在では新しくできた種目もありますし、なくなってしまった種目もあります。ゴルフは新しくできたものですし、今はなくなってしまいましたけど昔は合気道なんてのもありました。いろいろな種目から選択できるのは恵まれていると思いますよ。

メディカルケアとサイエンス

大築先生・村越先生

メディカルケアは、内科系疾病や運動器系の障害を持つ学生を対象にした種目です。履修する学生は個別の問題を抱えているので、それぞれにあったメニューを担当の教員と組んで、体の負担にならない程度の運動をします。履修する人数は1学年で10〜20人ほどですね。

メディカルケアのコースはM1・M2・M3に分かれていて、入学時の健康診断の結果から保健センターのお医者さんが判断して、「この学生はこのコースに入れてください」という指示がきます。M1は内科系疾病等のため運動が制限または禁止されている学生、M2は内科系疾病等のためスポーツコースやトレーニングコースでの履修は不適当だけど軽い運動は許可された学生、M3は運動器系の疾病・障害によりスポーツコースやトレーニングコースでの履修は不適当だけど軽い運動は許可された学生が対象です。M3のコースは怪我をしてリハビリ中の運動部の選手なんかも、リハビリのために履修することができます。

メディカルケアのコースは学生ごとにメニューが異なるので、これといった説明をするのが難しいのですが、一例としては下半身が麻痺している学生に吹き矢をやってもらったりしました。単純なリハビリだけでなく、こういった競技的な要素を盛り込むことで、学生に「上達した」という達成感を味わってもらいたかったのです。また、部活などで怪我をしてメディカルケアを履修した学生には「怪我を防ぐにはどうすればいいのか」ということを教えたりします。

サイエンスは平成12年度に新設された、スポーツサイエンスを実習形式で学ぶコースです。よくサイエンスは教室での座学だと勘違いされている学生さんが多いのですが、実は違うのです。サイエンスは基本的には実技です。確かに実習の目的や背景をスライドで教えることは多いですが、実習内容は体を動かすことが中心です。自分自身が運動する中で実験的なデータを測定し、そのメカニズムや意味を考察したり発表したりするので、座学ではないんです。実習の内容は担当する教員で異なります。どの教員もスポーツ科学の研究者なので、研究内容のエッセンスを実習内容とすることが多いですね。一例として、学生に実際に走ってもらってどのくらいしんどいと思うかを逐次数字で評価してもらい、同時に心拍数を計ってもらうという実習があります。すると驚くことにその2つの数字は直線関係にあるんですよ。この事実を知っていれば、トレーニング中に心拍数を計らなくても、自分の感覚だけで適切な心拍数を維持できるようになります。

将来的にはスポーツサイエンスのための最新測定機器を設置したジムを使って、より高度な実習を行なえるようにしていきたいです。

共通基礎実習の内容と目的

スポーツはただやればいいものではなく、背景にあるスポーツサイエンスの知識を身につけなければなりません。一部の運動に熱心な人だけでなく、学生全員に学んでもらいたいという願いから、この基礎実習を共通科目としました。共通基礎実習はサイエンスの教員が練り上げた実習のうち、特に身体運動を裏付ける科学の基礎に位置づけられ、全員が共通して取り組みやすいと判断されたものでカリキュラムが組まれています。例えば、一流のスポーツプレーヤーの華麗な動作を見て「自分ではできる」という気がしていても、実際なかなかできないことってありますよね。こういったつもりと実際のずれを感じてもらう実習があります。握力を自分の感覚のみを頼りに5段階に出し分け、その正確さを測定するのですが、実はなかなか自分が思った通りには力を制御できていないんだということを実感します。このほかにも共通基礎実習では人形やAEDを使った救急処置や、運動を引き起こす筋細胞の仕組みを顕微鏡を用いて学ぶ身体運動の健康科学などの実習があります。

実習内容は多岐に渡りますが、それぞれの実習には共通した目的があります。それは東大の身体運動関連授業科目の教育目標でもあるのですが、身体と身体運動に関する知識を自らの身体運動を通して習得して、自己の身体の管理をできるようにすることなのです。

この共通基礎実習は苦労が多いです。1つの実習は結論を出すところまで含めて90分で終わらせなければならないので、毎回時間との戦いになります。あまりに実習内容を単純化すると学ぶことが少なくなってしまうし、実習内容が多いと時間内に終わらないばかりか、学生さんに何をわかってほしいかが曖昧になってしまいます。そこの兼ね合いは未だに教員の間で議論があります。

こういった共通基礎実習がマニュアル化できれば、他の大学にもこのカリキュラムを持ち込むこともできるようになると思います。もっと言えば大学生だけではなく、中学生や高校生にも広げていって、たくさんの人の勉強になるような実習にしていきたいですね。生物学的な内容も入ってきますが、共通基礎実習は文系の人にも是非触れてほしいことです。もちろん実習の内容を理解するかしないかも重要ですが、我々はそれ以上に細胞を実際に見たり、人工呼吸をしてみたりといった体験をするかしないかが大事だと思うのです。

高校の体育との違い

高校の体育は、基本的に体を動かすのがメインです。もちろん高校の体育にも知識をまとめた教科書がありますし、指導要領では体育の時間の中で教科書を使った授業も少しはやらなければならないとあります。高校の教科書の内容は東大の身体運動・健康科学実習で用いる教科書と似ています。しかしながら、多くの高校では体育科目の座学よりも実技が優先されていることも事実です。

しかし、東大の身体運動・健康科学実習は、先述の通り講義や体を用いた実習を取り入れることで、スポーツのサイエンスの側面にも重点を置いています。体を動かして丈夫な体を維持するのももちろん必要ですが、社会人になっても運動を続けてもらえるように、運動の重要性や理屈を学んでほしいのです。

あとは、教員が全員スポーツ科学などの研究者である点も高校と違いますね。身体運動・健康科学実習の教員は教育者でもあり、博士号を持つ東京大学の研究者でもあるのです。一言で研究者といっても、教員によって研究内容は医学から心理学まで多岐に渡ります。そういったスポーツを裏付ける様々な分野のサイエンスが複雑にリンクして人間が動いています。スポーツをいろいろな学問分野からの視点で学べるという点は、高校の体育にはない面白さだと思います。

授業で心がけていること

学生さんがどの程度我々の言っていることを理解しているのかを知るのは難しいことなので、講義も実習も一方通行になってしまうことが往々にしてあります。特に共通基礎実習のような新しい試みではこの一方通行がよく起こります。そうならないように、今の学生さんが何を知っていて何を知らないかを理解するように心がけています。教員が当たり前だと思っていることでも、今の学生さんにとってわかりづらいと思われる知識は時間を多く割いて説明したりしますね。

あとは学生さんの名前をなるべく多く覚えるようにする努力もしています。名指しで指導できたほうが効率的ですしね。特によく遅刻してくるような人の名前はすぐに覚えてしまいますよ(笑)。顔と名前というより、特徴的な運動の動作で名前を覚えてしまうことが間々あります。

これは当たり前のことかもしれませんが、教員のほうが授業に遅刻しないということも心がけているポイントの一つですね。授業を定刻通りに終わらせることも大事だと思います。早く終わりすぎても駄目だし、長引かせるのも学生さんが次の講義に間に合わなくなってしまいますから駄目なのです。授業を長引かせないのは、盗難を防止するという理由もあります。授業を長引かせると、次の時限に履修している学生と時間帯がかぶって、2つの時限の学生が同時に着替えたり、準備をしたりすることになります。そういった知らない人が沢山いる状況で盗難が多発するので、そうならないためにも授業を長引かせずに時間通りに終えるよう努力しています。

実技の授業では万が一の事故も起こりえます。事故が起きたときは教員がすぐに守衛室や保健センターに連絡を入れて、別の教員が応援に駆けつけるようなシステムも作っています。また、事故を未然に防ぐために授業が始まるときに心拍数を計らせて、異常がないかチェックしてもらっています。心拍数は体のしんどさと直線関係にありますから、体の自己管理の指標になるのです。

教養学部の学生に求めること

大築先生・村越先生

左から桜井先生・大築先生・村越先生

とにかく、無理をしないでほしいというのがありますね。体調が悪いのに実技をすると、時期によっては熱射病につながったりしますから。また、種目によっては熱くなりすぎて無理をすると怪我につながるものもありますし、ときどき自分に冷静になってもらいたいですね。怪我をしてしまっては元も子もないですからね。

教養学部ですから、スポーツを身体教養として学んでもらいたいですね。知的な教養と同じように、自分の体をコントロールしたり、技術や体力を身につけるというのもとても大切な教養なのです。教養があれば、身につけた技術や体力を乱用することもないでしょうしね。欧米では会社の役員級の人たちに肥満の人はいないと言います。というのも、自分の体にフィットした体型を維持できないのは管理能力が欠如している表れであり、自分の体も管理できない人が多数の部下を管理できるわけがないという考えがあるからです。欧米では既に体型維持が教養とみなされていると言えるでしょう。日本でも近いうちに運動して体力や体型を維持することが、教養とみなされるようになるでしょう。

学生さんたちには学生生活を積極的に楽しんでほしいという気持ちもあります。それは好き勝手にやれという意味ではなくて、東大の学生として様々な講義や実習を受ける機会が与えられるわけですから、アグレッシブに自分が楽しんでやれるものを見つけて、それを意欲的にやってもらいたいということです。教養は人に押し付けられるものではありませんから、自分で学ぶ意義を見出して、自分からそれに打ち込んでもらいたいです。大学生なのだから主体的に動き、学びとっていってください。

最後に、生涯を通じて体を動かして、健康な体作りに励んでください。心身相関といいますが、体が健康なら精神的にもポジティブになれますからね。

取材後記

学生には講義の合間に気分転換のスポーツ、ととらえられてしまいがちな「身体運動・健康科学実習」ですが、その裏には様々な意図が隠されていることがわかりました。ただ運動をするだけではなく、きちんと理論を理解することが大事なのですね。

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掲載日:10-05-05
担当:金子堅太郎
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