古典中国語

「古典中国語」は2015年度から新たに始まった講義です。講義の内容や古代中国の研究について、講義を担当されている谷口洋先生に伺いました。


1. 講義と研究 | 2. 漢字の役割


講義について

谷口洋先生

―谷口先生の担当なさっている古典中国語ですが、最終的には生徒をどの程度のレベルにすることを目標にしているのですか?

それは結構頭の痛い問題なんですね。1セメスターってとても少ないんです。全部で13回講義がありますが、最初はガイダンスで終わってしまって、2回目も漢文訓読とはどういうことなんだという話をしました。だから実質3回目から始めて、最終回には試験をするので、本当は10回くらいしか授業がないんです。10回で何ができるかと考えるとかなり心もとない。1回1回テーマを決めて、ある文法に焦点を決めた例文に、そのあとほんの半ページくらいの古典の抜粋をつけてプリントを作っていますけれども。それで最後の方は、ちょっと短い読み物を、それこそ古典の版本を適当にコピーしてやろうと思っていたんですが、そこまでいけるかどうか(笑)。

でも、まあ、なんとか一応説明しようと思っていたことを一通り終わらせて、古典の一節、さわりだけでも取り上げようとは思っているんです。古典を読む授業というのは人文科学ゼミナールの枠などで他に考えていて、また後期課程に行ってからそういう方面に進みたいという人も当然いると思います。古典を読むのはそちらでやってもらったらいいと思いますので、そこに行くまでの橋渡しができたらと思っています。

―文法的に解説すること以外に高校の「漢文」との違いは?

目で見て分かる違いとしては、教材に訓点が基本的にない、短文だけど白文を読ませているということです。それをするはっきりした理由としては、後期課程でそういう専攻に進みたい人も想定してるということがあります。後期課程となると、高校みたいに訓点が付いた調理済みのものを受け取るだけでは済まないので、それに備えるということはもちろん考えています。それからもう1つの理由は、専門に関係ない人であっても白文を読むということは知的好奇心を相当満たしてくれるんじゃないかということがあります。やっぱり今までは教科書として整備されたものしか高校でやらないわけだから、その辺の蔵に眠っているような漢字だらけのものをどうやったら読めるんだろうということは、専門にかかわらず興味のあることだろうと。

また、大学生が相手なので、当然英文法は相当やっています。第二外国語もなにか取っている。そういう外国語を勉強してきた頭でもう一度漢文を見直してほしいという意図があります。「古典中国語」という名前にしているのは、そのためですね。漢文として見ないで、「古典中国語」と見るということで。科目の分類も外国語の一種としてあります。授業の中でも、今のところ品詞に分けて説明をしています。

確かに漢文について品詞を考えるのは難しいんです。語形変化もないですし、1つの言葉が名詞にも動詞にも使えますから、あんまり今まではやられてなかったんですね。ただ、文法を解析しながら他の外国語と比較して読むとなるとやっぱり品詞論というのは必要だし、それからこの分野っていうのは、私の専門ではないけど、ここ10年20年でかなり研究が進んでいるんです。昔は漢文っていうのは文法がないなんて乱暴な議論もよくあったくらいで、要するに語形変化がないからはっきり分からない。

実は語順とか語の配置が文法な訳ですけれども、でもまあ結局のところ今まで伝統的にやられてきた漢文の読み方っていうのは、まず単語、特に文法的機能を持っている語の意味を覚える。次に句形、受身はこんな形、使役はこんな形とかパターンを覚える。パターンを覚えて単語をはめこむと。それが漢文の習い方、教え方だったと思うんだけれども、多分それは他の外国語のあり方とは少し違うんですね。

ある程度例文を覚えて構文を覚えてっていう部分は共通していると思う。けれども、やはり今語学を習うときは皆喋れるようになりたいという思いもありますから、他の外国語ではどういう風に組み立てていくかということを考えると思うんだけど、漢文に関しては今自分が書くことはまず考えなくていいので。だからやはり読むことだけを考える。そのため、パターンとそこにはめ込む単語を、という習い方しかしてないんですね。だからそれと違って外国語を勉強してきた頭で漢文を見直してみたらどうなのか、っていうのに気づいてくれたら嬉しいなっていう風にも思っています。

研究について

―先生のご専門について教えて下さい。

私の専門は中国の古代文明なんです。時代でいうと戦国時代から漢代で、皆さんが知っているところで言うと司馬遷の『史記』の時代ですね。『史記』って実は司馬遷が全部ゼロから書いた訳ではなくて、資料を使って書かれたものです。そういった資料となった歌のようなものであったりとか、文学作品、他の人の文章であったりが一番中心的な研究対象ですね。そういう古い中国の文献が、何らかの形で語り継がれているものを背景に持っているのではないかということが想定できて、そのことに特に関心を持っています。

それこそ、漢文の話に戻すと、いわゆる漢文の文体ですね、高校で習うような諸子百家であったり史記であったりの文体というのは、句読点つけていくと結構規則的に打てちゃうんです。全然句読点もない文字通りの白文の状態で句読点つけて訳すなんてのが大学院の試験で、それはもちろん文法的に中身を解析してやっていくんだけれども、実は文章のリズムっていうのもすごく大事なんですね。そういうのを考えていくと、どうもこういうのは何か口伝えのようなものがあって出てきたんじゃないか、っていうことを色々想定できる。

そもそも文字、文章を書くっていうのも考えてみたら不思議なことで、私たちは何気なく文字とは言葉を書き記す道具だから、話した言葉があってそれを写すと思いがちなんだけれども、ところが実は、話し言葉ってそのままじゃ文章にならない。この頃はメールなんかで本当に話したように書くということをやっているんだけれども、それでもどこか様式化されてないと読んで分からないと思うんですね。つまり文章っていうのは、そういう形がないと文にならないんです。今ここで音を聞いているとコミュニケーションが成立するんだけれども、本当に喋っている通りに書いたら本当に読みにくい。話し言葉って、本質的にそういうものなんですよね。それがそのまま文字になるってありえないんですよ。

そして、古代では文字を知っているのは特殊な技能で、じゃあ何を書くか。中国で一番古いのは甲骨文字ですけれども、あれは占いのことが書いてあるんですよね。その占いの内容が国の政治に関わることなわけです。つまり、そういう本当に必要なことしか書かない。内容的にはそうだし、もっと細かい、語の単位に行っても、多分メモみたいな感じなんですよね。甲骨文にも主語と述語があるから解読できたんだけれども、それこそ我々がメモを取るときに助詞を全部は書かないのと同じで、やはりかなり簡潔な書き方をしているはずなんですよね。この頃中国の考古学で大量の竹簡が出てますけれども、大半は帳簿ですよ。税収として入ったものと量などが書いてある。つまり文字っていうのは、言葉を写すっていうのはもちろんそうなんだけど、それは一面であって、実は文章でないものを記録する方が多い。そういう非常に簡潔な文章、文章以前、というかただのメモというのが文字の領域としてある。これは、話し言葉とは全然縁のない、文字だけの領域です。

一方で、昔から伝えてきた知恵みたいなものはそんな風に文字を書くのが大変で、しかも一部の人にしか書けない時代だから、口で伝えてきた。で、口で伝えてきたときには、やっぱり、何らかの語り伝えるための形っていうのがあって伝えないと、皆がアドリブ入れてだんだん変わってきたり大事なことが抜けたりする。そしてその語るのも実は技術者がいて,独特の節をつけたりして語っていく。もし文章を文字にするっていうことが行われるとしたら、そういうものを写す訳です。漢文の中国の古典に色々な型があるんですけれども、なぜそういう型があるのかというと、そういう語られてきたものを背景にしているからだという風に考えていて、今はそういうことを色々な文献について研究している、といったところですね。

―口で伝えられたことを研究するのは難しくはありませんか?

そうですね、証拠がない訳だから。実際には今漢文で残っているものを分析していくしかありません。後は状況証拠として、色々な文献の細かい記録を使います。例えば、昔は目の見えない人に語り継がれていた、なんてことが本当に断片的に出てくる。それと、これは傍証にしかならないけど、日本や西洋ではどうなっているかとか。中国っていうのはそういうのが残りにくい文化なんですよね。やっぱり役に立つことしか残らないというか(笑)。

そもそも、中国の古典が量的に増えたのは戦国時代なんだけど、なぜかというと諸子百家が自分の政治的な説を売り込んで回ったんですね。それをどんどん整理していって、それが本になった。つまり現実の政治に役立てるという必要から、古代の原書がどんどん文字化されていった。よく中国には神話がないとか言うけど、ない訳はなくて、政治的に必要ないものは全部捨てられちゃったんですね。あるいは、政治家に言うためのたとえ話として神話が出てくると。そうすると、元の話と全然違ってしまっているということがある。だから、そういう風なことを想定しながら、多分こうだったんじゃないかなって考えることによって、今あることが説明できる。そういう風な論を立てているというやり方なんですね。

だから、本当に仮説にしかならないんだけども、今あるものが出てきた背景をよりよく説明するための考察、と。それが一番のベースなんですね。もちろん実際には、私の研究はもっと後の方まで広がっていて、つまり、一旦書かれたものがどのように広がっていくかという方も、これはもうちょっと実証的にできますから、かなり力を入れてやっていることではあります。

―中国の古代文学研究の課題は?

こういう話は本郷でしなくてはいけないんだと思いますが、はっきり言って日本では学ぶ人がどんどん減ってます。これが1番の問題で、少なくてもいいけど、研究する人が0というのは困るんですよ。それからもう1つは、そもそも文学研究全体に元気がないんですよ。まあ、やっぱり非常に活発な分野もあります。特に、日本にいる限り日本の研究っていうのは不滅で盛んだし、色々な人が出てきている。それから、割と近代に近い時代、江戸時代などの近代につながってくるところは非常に注目されていて、そこはやっぱり成果も多いし、鋭い人がどんどん出てきている。

ところが、古い時代になるとやっぱりハードルが高いんです。まず今までの蓄積が大きいのと、さっき「語るものを研究するのは難しいんじゃないですか」っていう質問が出たけれども、どうしても資料だけで論証できない部分があります。そこでどうやって自分の論を立てていくか。これはなかなか大変な問題がある。

それから、中国に関して言うと、元々中国の古い文献は、哲学的な内容だったり歴史の本だったりが多くて、僕らから見てぱっと入れるような本当の文学作品は少ないんですね。僕なんかに言わせると、諸子百家だろうが史記だろうが語られていたもので、そこにはすごい物語性があるんですけれども、でもぱっと見て分かりにくいところがあるんです。そうするとやってみようかなと思う人もなかなか出て来にくい。古代の文学研究なんかでも、神話なんていうのはもう今全然流行らない分野ですね。あれもやっぱり行き詰っているところがあってね。やっぱり論証しきれないところがあって。

だからそういう風な学問の世界の流行り廃りみたいのがあって、ちょっとその波をかぶっているところがあるように思います。中国に関しては、さっき言ったように考古学がすごい進んでますから、歴史の方はすごい厚いくて、中国はものすごくホットな話題です。だからやる人も多いし、やる人はすごい熱心にやっていますけれど、やっぱり文学は多くはないんですね。


1. 講義と研究 | 2. 漢字の役割

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掲載日:15-10-27
担当:渡邊大祐
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