現代哲学

駒場には哲学を扱う授業が多くあります。その中でも、文理を問わず受講できる総合科目の「現代哲学」を担当されている石原孝二准教授に、講義の内容やご自身の研究と授業との関係、哲学の面白さ、授業を受ける学生への思いなどについてお話を伺いました。

「現代哲学」で扱う領域

石原先生

「現代哲学」は、現代の哲学の中からトピックを選んで紹介するという授業です。総合科目なので、理系の学生にも哲学に触れてもらうという趣旨があります。

今年度は、現象学から構築主義までというテーマで、現代思想や現代哲学を考えるうえで基礎になっている現代の代表的な考えを紹介する授業をしました。どうしても13回という1学期の授業では内容が限られるので、現象学や構造主義などヨーロッパで生まれてきた考え方に絞って紹介しています。未だに哲学というものはあまり進歩していなくて、20世紀のせいぜい中頃、1960年代くらいまでに出てきた考え方が今の基礎になっています。逆に60年代くらいまでを押さえるとだいたい現在の理論がわかるのではないかと思います。

精神医学と哲学という少し特殊なテーマの授業をしたこともあります。哲学というと、理性と非理性の関係の研究が主流でした。特にカント以降は、理性の哲学というのが、「人間の理性って何なんだろう」、「どこまで物を知ることができたり、道徳的だったりするのだろう」などと問いかけ、人間の限界みたいなものを探ってきたわけです。しかし精神障害というものは、ある意味理性的な枠に入らないものです。そういう非理性的なものや、精神的なもの、「病」を哲学というものはわりと意識してきました。それゆえ、心の疾患や精神医学を見ることによって、哲学っていったい何なんだ、ということがわかるのではないか、そういう狙いがあって精神医学を授業の題材に選んでいました。これには今僕が精神医学の哲学を専門的に研究していることも関わっています。

研究と授業テーマの関係

僕が今重点的に行なっているのは、精神医学の哲学と障害の哲学の研究です。2013年は精神医学の哲学をそれほど紹介していなかったんですけれども、2012年までの授業では精神医学と現代哲学との関係を紹介していました。非理性的なもの、理性の他者みたいなものを紹介することによって、近代哲学が何を目指してきたかということがわかりやすくなるように思います。精神医学、精神疾患、精神障害を扱うことによって、哲学を理性的な人間観とは違う視点から見ることができるんじゃないでしょうか。

今年の授業では、この研究に関係があるトピックとして、ヤスパースの現象学的精神病理学を扱いました。それは、精神障害をもっている人の体験のあり方というもの、経験の構造みたいなものを探るということです。

もともと僕は現象学が専門ですが、最近は精神医学の哲学に焦点を当てているという感じです。

当事者研究

石原先生

僕が今研究対象の一つとしているのは「当事者研究」です。「当事者研究」とは、障害を持っている人たち自身が自分たちの問題を研究するというものです。それは「べてるの家」(※)という、精神障害を持っている人たちのコミュニティのようなところで始まりました。当事者研究と現象学を結びつけることが今の僕の関心になっています。従来の現象学的な研究は、健常者の視点から、精神障害者の体験の仕方はどうなのかを一生懸命研究してきたということがあると思いますが、当事者自身による当事者研究は、当事者が自分自身の体験を探るという点で、本来の現象学的な研究なのではないかと思っています。とはいえ、当事者研究は現象学から生まれたというわけではなく、いろいろルーツがありますが、一つの重要なルーツとして、当事者運動や障害者運動があります。1970年代前後から、アメリカや日本を含む各国で、障害当事者が自分たちの問題を捉えていくという考えが生じました。それが当事者研究の背景となっています。当事者運動は、必要なものや治療法をどう決めるかに関してのニーズを、専門家が決めるのではなくて、当事者自身が決めていったり主張したりすべきという考えです。しかし、当事者研究に現象学は全然関係ないかというと実はそうではなくて、現象学や実存主義的な考え方が、間接的にですけれども影響を与えているということもあります。

※べてるの家… べてるの家は、1984年に設立された北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点です。(中略)そこで暮らす当事者達にとっては、生活共同体、働く場としての共同体、ケアの共 同体という3つの性格を有しており、100名以上の当事者が地域で暮らしています。公式ウェブサイトより引用)

当事者研究を授業で扱う

当事者研究に関連する他の講義では、実際に当事者の方に来てもらったこともあります。学術俯瞰講義では、大勢の当事者の方に来て頂きました。学生からのコメントは、かなり的確で、なかなか鋭い当事者研究に関する考え得る批判を指摘してくれたので面白かったです。やっぱり当事者研究っていろいろ批判もありますね。やらされているんじゃないかという批判、痛々しいという感想、当事者の人を笑いものにしているんじゃないかという意識を持ってしまう、というような意見がありました。

当事者の方が話すモチベーションは、基本的には妄想や幻覚というのは彼らの現実であるから、それを語ろうとすることにあるのではないかと思います。研究というスタイルをとることによって、人前で語ったり、話し合ったりする、という場を創るのが当事者研究のすごく大きな役割なんですよね。精神障害というスティグマがすごく強く、なかなか障害について人前で言えないというのがあり、日本ではまだ障害を隠すという傾向が強いです。家族が隠すことや本人が言えないことによって、疾患だけでも苦しいのに、それを言わないで何とかしようとするから大変なことになってしまう。「べてるの家」のすごいところは「幻覚・妄想大会」ということをやっている点で、そこでは誰が一番優れた幻覚・妄想をもっているかを競います。授業はある程度当事者研究を積み重ねてきた人たちがよりパブリックな場で発表する機会なので、当事者研究に参加するモチベーションがあり、授業に来ることはその延長線上なんだと思います。

先生が哲学を専攻した理由

心を理解することや自分と他者が違うこと、そもそもよく思春期に抱くような疑問なんですけども、人生の意味や生まれてきた意味、そういうことを考えるわけですね、哲学的に。どうも他の人はそういうことをあまりやっていないらしいと、ある時点で気がつきました。

哲学ならではの面白さ

石原先生

普通の科学や技術は範囲が決まっているわけです。決められた範囲の中で厳密な方法を探して答えを出していくので、やはり科学者ってできることをやろうとするし、決められた枠組みの中で答えを出そうとします。常に自分がやっていることはいったい何なのかを一方では考えながらやっているんですけれど。哲学ってそういう限定がないことが一番の強みだと思います。いろいろなアプローチをとりながら、いったい何なのか、を追求するのは哲学者にしかできないことです。以上のように、限定されたくないことが一番の出発点です。さっき現象学が専門という話をしましたけれども、一つのアプローチにこだわる必要は全然ありません。

学問は一般的にそうだけれど、哲学はもともとギリシャ語でphilosophia、「愛知」です。突き詰めるときにできる方法を使ってやる科学のようなやり方は、突き詰めることにならないだろう、という考えがもともとなので、哲学はまさに知を愛することです。

哲学の文章の読み方

哲学は、哲学者独特の考え方をしますし、独特の書き方をします。それは物事を突き詰めて考えることです。例えば、速読ができるのは、既に理解しているものを読んでいるからで、わかっていないものはもちろん速読できないわけです。哲学ってそういうところがあります。当たり前のことを題材にしているからといって、その思考の結果として出てきたことはもちろん当たり前ではなく、そうすると何を言っているのかよくわからないということになると思います。教科書通りにやっていくと解決する、というふうには哲学は絶対なっていないので、答えや答えの出し方を求めるのが問題なのではありません。哲学者の文章に触れるときに重要なことは、その哲学者がどういう問題意識を出発点にしているのかという視点・論理を考えながら読むことです。哲学者は、ああでもない、こうでもない、というのを常識の後ろに回って考えていくから、それに付き合って、何をいったい問題にしたのかを共有する、これが哲学の文章の読み方なのではないかと思います。

学生へのメッセージ

石原先生

東大の学生ってやっぱり優秀なので、課題をとても速く正確にこなします。しかし、その一方で要領がわからないものが嫌いかもしれません。今までたぶんできなかった経験があまりなく、わからないことやできないことに対する免疫がないのかな、という気がするんです。要求されたことをすべてこなすことに関しては、たぶん世界一だろうと思いますが、「わからない」「できない」とはどういうことなのかをもっと考えてほしい、そう感じはします。基本的にはよくできますので、あまり文句はありませんが、注文するとしたらそういうことです。

哲学は、一応チャート図でまとめると知識欲は満たされると思うんですけれど、そういうものではありません。哲学って、知の枠組みを、日常的な知や実践の善の前提を問題にしています。これをまぜ返すというところがあって、まぜ返すことによって日常的な知、あるいは科学的な知の実践を問い直す、そういう機能があるわけです。そういうものに少し触れてもらって、いったい何を問いの出発点にしているのかを共有していくことができると面白いと思いますし、一緒に哲学してみることが重要です。それは自分の専門分野でも必ず足しになると思いますし、あらゆることに哲学は入っていけるので、そういうものだと思って付き合っていただけたらいいかと思います。

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掲載日:14-04-27
担当:伊藤重賢
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