思想・芸術一般「言語学でのフィールドワーク」

今回の講義紹介では、総合科目Aの思想・芸術一般「言語学でのフィールドワーク」を紹介します。授業の形式から具体的なフィールドワークの流れまで林徹教授にお話を伺いました。


講義の概要

林先生

授業は「言語学でのフィールドワーク」という名前ですが、その内容はアンケート調査など広い意味でのフィールドワークに関する私の経験を紹介するものです。ですから、言語に対する興味を喚起するというよりはむしろ、言語に興味を持っている学生に研究の手法を紹介することがこの授業の目的です。とは言え、具体的に授業で聞いたことが直接役立つことは少ないでしょうが、フィールドワークを自分にもできると感じて、選択肢のひとつに加えてもらえれば十分です。

授業では、フィールドワークの前後の活動を含めて紹介します。授業の中で一番強調しているのは、フィールドワークは一人ではできないので絶対に協力者が必要だ、といった心構えについての話です。様々な研究者の色々な手法によるフィールドワークがありますが、フィールドワークを始める前の話などを授業で紹介したいので、結局は自分のやったことを話すことしかできないんですよね。また、フィールドワークは多くの場合現地に出かけるので、授業では現地での写真やビデオを少し紹介しています。意外に普通ですよ(笑)。

言語学とは

一言では表わすことができないほど言語学という研究領域は広く、サブディシプリンが沢山あります。言語には色々なレベルがあります。一番小さい単位だと普通は子音や母音といった一つ一つの音声のレベル。それが組み合わさって形態素というレベルになります。これは単語の場合もありますし、単語の中の意味のある音のつながりなどを表すこともあります。例えば“global”, “globalize”, “globalization”はそれぞれ一個ずつの単語です。でも“global”と“globalize”の間には関係がありますし、“globalize”と“globalization”の間にも関係があります。どのような関係かというと、“global”は形容詞でそれに“-ize”という接尾辞がつくことによって動詞になりますよね。その動詞に今度は“-ation”という接尾辞をつけることで“globalization”という名詞になります。このように、一つの単語を基にして別の単語を作っていくというプロセスが非常に沢山見られるんです。そのような時に今の“global”と“globalize”を見ると“global”と“-ize”っていう二つの部分に分かれるので、なんとなくそれぞれの意味が特定できるような気がしますよね。“global”は形容詞のglobal。“-ize”はちょっと抽象的な意味だけれど、形容詞を動詞化するという文法的な意味を見つけられると思います。少し分かりにくいかもしれませんが、このような単位のことを形態素といいます。gやl、oといった音だけではなんの意味もありません。でもそれが先ほど例にだした“global”のように、ある連なりを作ることで意味を持ちます。あるいは“global”ほど具体的ではないけれども、“-ize”は形容詞を動詞化するという機能がある。そのことも一つの文法的な意味ですよね。そのような意味を持ったもの、それが形態素の特徴です。

この他にも“life”, “live”という風に名詞と動詞の形が簡単にはつながらないものや、スペルは名詞も動詞も“house”なのに名詞では「ハウス」と発音し、動詞では「ハウズ」という風に発音するものがあります。これらの例では先ほどの“global”と“globalize”みたいには、簡単に動詞を作るための形態素を見つけることができません。そのような単語の場合は抽象的な単位を設定して説明をしなければいけなくなってしまいます。そのため、言語学では言語現象を抽象化して、なるべく単純な仕組みでもってその多様性を説明しようとします。研究とはほとんどそのようなものですけれども、それを言葉に関してやっていくのが言語学なのかな、と思います。音が連なって意味のある形態素になる。形態素が連なって意味のある単語ができます。単語が組み合わさるとフレーズ(句)ができる。句が結びついて文になる。そして文が結びついて談話あるいはストーリーができあがる。そういう流れの中で、音のレベルを調べる人もいるし単語のレベルを調べる人もいる。文のレベルを調べる人や文より大きい談話という単位を調べる人もいます。

もっと大きい単位を設定し、個々の言語現象を見るだけでなくて、その言語現象が社会の中でどのような使われ方をするか、どのような表れ方をするかを見る人もいます。これは特に社会言語学といいます。例えば「わたし」や「わたくし」「俺」「僕」「あたし」などは自分を示す時に使う表現です。ですが、使われる場面が違います。それは「俺」とか「あたし」という言語表現を見ているだけでは何も分かりませんよね。むしろその言語表現がどういう社会的コンテキストで使われているか考えてみないと分からない。つまりこれは言語学なんですが言語学の外にも目を向けている、ということになります。だから言語学と一口にいっても色々なことがやれる。今まで使った例は英語と日本語だけでしたが、世界中にまだ誰も研究していない言語がたくさんあります。言語学をやっていれば、研究対象に困ることはけっしてありません。(笑)。

調査の流れ

林先生

ある言語に対して何らかの興味を持ち研究を始めるとしたら、まず最初にやることは本を読むことです。文献を読んでその言語に対して今までどのような研究がされているかということを見ます。長い間研究されている言語の場合は自分の疑問に答えてくれる文献があるかもしれません。一方であまり研究されておらず、自分の疑問に答えてくれる文献がない言語については自分でやらざるを得ない。そのテーマを諦めるのももったいないですしね。まさにその時に必要になるのが、フィールドワークということになります。

端的に言ってしまうと、フィールドワークとは、現地に行くか、そうでなければ日本でその言語を話す人に協力してもらい、色々と質問することによって疑問の解決を図るという、ごく簡単な手法なんです。ただ、やはり言語が違うということは文化的背景が異なるということになります。そうするとコミュニケーションがすごく難しく、お互いが理解できる共通の言語を使っていたとしても、誤解が生じやすくなります。そのような時にどこに注意をしていくかが問題になります。そしてそもそもどのように質問していけばよいのかということがあります。

例えばある言語の敬語体系を明らかにしたいとします。しかし、その言語を話す人に「敬語体系はどのようになっているのですか?」と聞いてもだめですよね。日常生活に差し支えなく使えれば言語自体には興味を持たないのが普通です。それはすごく当たり前のことですし、言葉を意識しないからこそ私達は自由にコミュニケーションできます。それなので、そんな単刀直入な質問をしてもなかなか疑問は明らかにならない。ではどういう風に聞いていくかということを考えます。それはやはり質問する側の仕事なんですね。それが意外と大変です。何を聞けば何が明らかになるかということを知るのはとても大変なことで、ある種の仮説を持っていないと質問ができません。多分こうなのだろうという考えを持っていて初めて、具体的な質問がでてくることになると思います。自分が仮説をたて、質問することによってそれを確認し、仮説が間違っていることが分かったらそれを訂正して新たな仮説を作り、再度質問をすることの繰り返しです。これらの一連の作業は、質問される側にとっては自分が当たり前だと思っていた言葉のことを答えなければいけないので結構大変だとは思いますけれど、調査している方にとっては結構ワクワクドキドキなんですよ。疑問というのは、調査を始める前にあるだけでなく、インタビューなど調査をしている間に初めて現われてくることもあります。例えば仮説の間違いを正していくうちにジグソーパズルのようにバラバラなものがピッタリと当てはまったりすることがあり、その時が一番感激しますね。したがって、言語学の調査というのは、すでに存在している「言語」のデータを集めにいくものではなく、むしろインタビューをしながらその言語の話し手と一緒に「言語」を発見していく、そのような作業だと思います。

前期課程の学生に求めること

林先生

すごく抽象的なことしか言えませんが、独り立ちをすること。例えば授業をとるときに、友達がとるなどの理由でとらないことですね。どの分野でも同じでしょうが、言語学でも研究をするには、それぞれの道を自分ひとりで切り開いていくということをやらなければいけません。例えば現地調査をやる人は、基本的には一人で全部、つまり旅行代理店みたいなところから始まって、現地の人が複数いればその取りまとめもやることになります。もちろん、誰とどこで会うかといったスケジューリングも自分で行わなければいけません。恐らく高校くらいまでは誰か別の人が時間割というようなスケジュール、あるいは計画のようなものを決めていたと思います。駒場生になっても必修単位をそろえていくうちに、あるいはサークルの都合などによって、自然と履修する授業が決まってしまうこともあると思いますが、空いた時間にどのように自分を管理するかが重要です。本郷に来ると、自分で勝手にやってくださいという面が強く、例えば自分の卒論のテーマを先生が与えるなんてことはありません(少なくとも言語学では)。みんな一人一人やっていかなければいけないという環境に放り出されるので、その準備として、当たり前かもしれませんが、まずは授業などを自分で判断して決めていくということですね。これをやる、あれをやるというのは最終的には自分が判断をして決め、迷った時は誰かにアドバイスをもらえばいい訳です。みなさんやっていると思うのですが自分のスケジュールを自分で決めていく。私は未だにちゃんとできませんが(笑)。

取材後記

普段意識していない「言語」について、考えさせられる話でした。英語も第二外国語として学んでいたスペイン語も、文法を学んでいましたが、最初から規則としてある訳ではなく、このようなフィールドワークを通じて獲得したのだと分かり、とても身近に感じました。

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掲載日:11-01-29
担当:牧祥子
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