物理科学Ⅰ

物理科学Ⅰは文科生を対象に総合科目として開講されています。講義の内容・工夫から文科生が物理を学ぶ意義、さらには大学の授業のあるべき姿まで、この講義を担当している池上高志先生にお話を伺いました。


講義について

池上高志先生

―講義の内容を教えてください。

この講義は文科生用ということで、文系の人を対象に、科学の考え方を色んな分野から拾っていって一つのストーリーで説明する、という内容のものです。

―講義の中で工夫されていることを教えてください。

出来るだけ他にはないような講義をすることを心がけ、数学的なことが分からなくても理解できるようにしています。特に、『複雑系』や『生命』は何かといった、物理科学で正解はないが、それらを考えていく上で大事にしていることを伝えます。あと、方法論よりも、考え方・コンセプトを話しています。

この授業で扱う考えは結構難しいかと思いますが、理系と文系で教えても内容的には差が無いです。何が違うかといえば、数式の量が多少違うと思います。理系の授業では方程式を使って教えるところを、言葉で説明する。しかし、やっぱり式を解いたり、プログラムを組むなど、実際に手を動かさないと頭に入らないことはある。理系は手を動かしてなんぼ、というところもありますから。そこが悩みどころです。

僕は、研究の傍らアートをすることもありますが、アート作品にしろ、実際にアートを作った人と作っていない人とだったら、アートに対する理解の仕方に大きな差がある。作ったことがなければ、批評家としてああだこうだ言うだけでも、自分で1回でも作ったことがある人だったら、作り手の視点から意見がいえる。それは全然違う。研究にしても全くそうで、例えば、教科書でチューリングマシンを勉強した人がチューリングマシンを語るのと、実際それを使って研究した経験がある場合とでは、大きく違いますよね。主観的な感じ、Hands on な感じ、を僕は大事にしています。教科書に書いてあることに、何を足せば講義になるかってことを考える必要があります。その何がってところが、自分の手を動かしてなんぼ、というところです。

数学の証明の場合は、みんなが追体験できるという意味で半分は主観的ですが、もう半分は客観的でもある。研究の場合は、もっと自分の体験が大きいから、研究全体のプロセスを自分で追体験できるわけではない。そこが難しいところですね。追体験の部分を込めつつ、教科書に書いてあることも説明する。だからこの講義では標準的なことを、を自分の研究のフィルターを通して語ってゆくというスタンスです。

あとは、その場ですべてが分かるような講義にしていないことも工夫の1つではありますね。そうしないと勉強する気が起きないし。その場で3割くらい分からないように、というのが理想だと思います。

最後に、僕は黒板で授業をするのが良いと思っているので、テーマ上は仕方ないこともあるけれど、出来るだけコンピュータのプレゼンを使わないようにしています。コンピュータを使うとスピードが速くなってしまう。スライドにいっぱい書いてあっても、実質伝わらない。黒板を書いていくスピードが大事じゃないか、と思っています。

―授業中は学生に意見を発表させたり、質問はあるかと尋ねたりすることが多かったですね。

一方的な講義はつまらないですからね。でも質問はあまり出ません。なぜか? 1,2年生だけと思ったら3,4年生になっても、あるいは大学院や国際会議に行っても日本人は質問ベタな人が多い。だから、質問をしないのは日本人のメンタリティなのかもしれない。僕はすごく損だと思いますが。

もっと言うと、講義の後で質問をしてくる学生は必ずいるんだけど、そういう人たちは講義中には質問してくれない。それが日本人のスタイルみたいで、すごく残念です。質問を聞いたらみんなも勉強になってとても良いと思うし、質問する人がいると講義の雰囲気が変わって、授業が面白くなっていく。

授業を面白くすることに先生が100%責任を負うべきだとは思いません。学生が面白くしなくて誰が面白くするんだっていう。どういう講義になるかという点では、学生の責任はかなり大きいと思います。すごく噛みついてくる学生がいて、そこから講義は始まるわけです。この講義も学生が絡んで完成する型の講義なので、絡まないと実は講義は完成しない。

先生の専門と研究について

池上高志先生

―先生が専門として研究なさっていることは何ですか?

「生命」というものを考えるために、コンピュータシミュレーションをやったり、化学実験を行ったり、いろいろしています。計算論の話とか熱力学の話とか生物の知識を組み合わせて、使ったりもしますね。共同研究という形で他の先生と一緒にやることもあります。共同研究することで、これまでに知らなかった他分野の考え方もみえてくる。

―この講義の内容も先生の専門と関係が深いのでしょうか?

そうですね、そうじゃないと心から説明できなくないですか? この講義の内容は教科書には書いていないし、部分的には書いてあったとしても、こうして一つの講義を通して全部を習うことはないのではないでしょうか。

自分の専門に引き寄せて講義をすると、vividに(編註:生き生きと)話すことができる。自分が教科書でしか知らないことは、話すことはできますが、realityが少ないと思うんです。今回講義で話した内容は、何らかの形で自分の研究の論文とかに入っているから、そういう意味ではrealityがあるから心をこめて話せる。それに、自分が面白くないことは話せないですね。講義だって自分が面白いと思わなくちゃただのduty(労働)になっちゃいますから。みんながバイトする時だって、楽しくないとできないでしょ。勉強だって工夫して自分が楽しいようにしますよね。 講義だって同じです、人間の活動だから。

理系と文系について

―僕は理系科目も好きでしたが、それが社会にどう役立っているのかが正直よく分からず、文系を選択しました。社会と関係なしに研究が進んでいくことはあまり良くないのではないかと思ったのです。

なぜ、理系だけで文系は関係ないんですか? 同じです。理系も文系も研究は、自分が面白いことが大事で、自分で始めるのだから。結果として社会に役立ったらそんなに良いことはないけれど、それが先に来ることはないでしょう。社会のためを考えて生命とは何かとか宇宙の謎についてとかは何もわからないでしょう。そういうことを考えるのはゆるされなくて、役に立つための分野だけが発展している大学に来たいと思いますか?僕はいやだな。総合大学というのは、もっと開かれた、広いものだと思います。

―文科生が物理を学ぶ意義は何でしょうか?

『二つの文化』という本(編註:『二つの文化と科学革命』 C.P.Snow著)を知っていますか? 文系の人はシェイクスピアを知っていて、理系の人は熱力学第2法則を知っていますが、両方知っている人は少ない。特に熱力学第2法則っていうのはシェイクスピアと同程度の文化的偉大さがあるのに、知られていない。なぜそこにギャップがあるのか?とC.P.Snowは問うたのです。講義の内容は、理系文系を問わず、人類として知っておかなくちゃいけない知識だと思っています。

それと、理系・文系は便宜上分かれていますが、自分で何が理科で何が文科か、を問いなおすことは必要なわけです。理系の人だって歴史がすごく好きな人もいるだろうし、経済を勉強している人もいるだろうし、そうした仕切りを常につくりなおしたいっていう考えが僕にはあります。

あと、僕はグーグル的世界観に反対していて(笑)。 グーグルが言っているのは「検索=知性」なんだけれど、そうではない知性もあることを教えたい。それがこの講義の目的でもあります。つまり、グーグルではサーチ出来ないような知もあるんだ、ということ。何でもグーグルでサーチ出来るわけではないからね。

学生へのメッセージ

池上高志先生

―最後に学生へのメッセージをお願いします。

理系・文系も関係なく、何でも好きなことを勉強することができるようにしてください。そうしていくのが大学だと思うし、そういう大学を一緒に創っていきましょう。

「質問する」というのは結局そういうことだと思います。つまり、理系とか文系とかに関係なく、物理だからとか、歴史だからとかではなくて、そのラベルを貼る前に戻って、勉強をするのは楽しいでしょう。物理というラベルを貼ったからといって、僕が教えている物理と高校の時につまらないと思ってしまった物理とは違う。だから、高校の時に失望してしまって文系に進んだとしても、もういっぺん考えなおしてもいいかもしれない。高校で先にこういう授業があれば、理系に進んだかもしれない。いろいろひっくりかえさせなくちゃいけないことがある。みんなには大学に入ったら、受験までにやってきたことをいろいろひっくり返してやってほしいと思います。

―ありがとうございました。


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掲載日:14-09-29
担当:望月洋樹
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